カテゴリー「2003年マラウイへの旅」の30件の記事

2014年8月31日 (日)

Mzuzu Coffee

 昨年6月にパシフィコ横浜でアフリカン・フェア2013が開催されました。その時にマラウイ共和国ブースで妻が知り合った同国からの留学生が先日浦安まで遊びに来てくれました。「Muli bwanji? ムリバンジ?」(元気ですか?)「Ndili bwino. ディリビーノ」(元気です。)「Zicomo.ジコモ、ジコーモ」(ありがとう) などと、わずかに知るチェワ語でごあいさつ。マラウイに2年在住歴のある妻は、いろいろ言葉を思い出しながら話していました。もちろん英語は
Dsc_0305  Dsc_0307 おみやげにいただいたMzuzu Coffee を楽しんでいます。少し酸味が強めのコーヒーです。妻は現地でさんざん飲んでいたらしく、懐かしいと申しています。
 Mzuzu(ムズズ)は首都Lilongwe(リロングウェ)から北に350kmほど(東京-名古屋ぐらい)離れたところにある街で、マラウイ北部の中心都市です。
 ゴールドに輝く袋には、なにやらNIKEのマークに似たマークがついていますが、マラウイ国旗の3色に塗られています。「健康第一」Thinking your Health Fiest とも書かれており、裏には効用がいろいろ書かれています。(日本だと薬事法違反になっちゃいますね。)
 Dsc_0308 もうひとつおみやげにいただいたのが、Likuni Phala。離乳期以降の幼児用のポリッジとして食べ、現地では子どもたちの栄養改善のために普及しています。原料は大豆ととうもろこしのようです。
 妻はマラウイ在住中はこれを使ってクッキーを作っていたそうです。ちょっと賞味期限が過ぎていますが、アフリカ的にはPalibe bvuto. パリべブート (問題無い)。

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2011年5月26日 (木)

書評 「アジアで出会ったアフリカ人」

 久しぶりのアフリカネタです。

 「アジアで出会ったアフリカ人―タンザニア人交易人の移動とコミュニティ」という本を購入し読みました。(右サイドバーの下の方にある「最近読んだ本」の中にも追加しました。)Japan Tanzania Tours (JATA tours)さんのメールマガジンでご紹介いただきました。

 この本は、「マラウイを知るための45章」の著者、「タンザニアを知るための60章」の共著者である、立教大学 栗田和明 教授 が書かれた本です。栗田教授の個人ホームページ アフリカ案内 は大変楽しいアフリカの情報が溢れています。

 アフリカに関する本ですが、野生動物などの自然や文化に関する事は全く出てきません。本に書かれている事は、殆どの日本人にとってはあまり関心が無いことかと思います。それだけに、大変に貴重な研究です。

 タンザニアを中心とした東アフリカと、タイ、香港などとの間で個人交易をしている人々や、更にはタンザニア国内、タンザニアとマラウイなどの周辺国との間で交易をしている人々の姿を通して、インフォーマルな経済活動の実情や、それに従事する人たちの生活を浮き彫りにしていく物です。マーケットの一区画の家賃が思ったよりも高いのに驚きました。マラウイの首都リロングウェ旧市街のブワイラ通りで、15平方メートル程の広さの店舗の賃貸料が3万MKw(マラウイクワチャ)≒2万2000円 と書かれていました。私が訪問した2003年当時と比べてどの程度物価が変動したのかわかりませんが、学校の先生の月給の2ヶ月分以上の金額です。

 アフリカの普通の住民が、近距離の交易で資金を貯め、国際交易に乗り込んでいくたくましい姿には、ああ、人間ってちょっとした知恵と勇気があれば結構色々な事が出来るのだなあと感心させられます。

 本を読みながら、首都リロングウェマラウイ各地で訪問したマーケットの賑わい、品物、安食堂の料理、そして独特の匂いを思い出し大変懐かしくなりました。あのマーケットに並べられていた、Tシャツが、サンダルが、アフリカ人によってアジアで買い付けられ、空路や海路でダルエスサラームに運ばれ、そこから陸路で国境を越えてたどりついたのだと思うと、感慨深いものがあります。

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2010年1月10日 (日)

地球サポーター マラウイ編が楽しみ

 毎週金曜日午後9時54分からテレビ東京で放送されている、地球サポーター。JICAなどによる途上国支援をPRする目的の番組です。現在マラウイ編をやっているのに気がつきました。もう6回目まで終わってしまいました。
 先週の放送は、乾期でも農業が継続できるように簡易な手作りの灌漑設備を作ったというレポート。枝と竹とビニールシートで作られた水道橋は、雨期には流されてしまうのでしょう。毎年作り直すようです。
 久しぶりに見るマラウイの赤い大地。懐かしく思いました。やっぱり、妻は地元民の言葉(チェワ語)に耳を傾けていましたが、「あー、何言ってんだかわからないー」と嘆いていました。住んでいた時からもう10年経ちますから仕方ないですね。私は住んでいないのであいさつしかわかりません。
 まだ何回か続くのだと思います。楽しみにしています。今週の放送は「 1月15日放送 マラウイVol.7 牛の乳量を増やすために活動する 一人の日本人」 北部内陸のムジンバからのレポートです。

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2008年8月 8日 (金)

頑張れマラウイオリンピック選手団

 北京オリンピックが開幕しました。我等がマラウイ共和国の選手団は参加しているのだろうかと妻が言うので調べてみたところ、こんな記事を発見。雑に要約すると。

「マラウイ共和国選手団10名が北京に向け出発。選手団派遣の費用は650万マラウイクワチャ(約650万円)かかるのだが、政府が提供できたのは250万マラウイクワチャだけ。選手達はお金も道具も足りないままの出発となった。政府は『道具は南アフリカで調達され、8月5日までに選手に届くと約束する。』との事。北京で選手たちは他の経験豊富な競争相手から、インスパイアされ、多くの技術を学ぶ事になるだろう。」

 何とも涙を誘う記事。頑張れ。マラウイ選手団!!

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2008年6月 9日 (月)

アフリカンフェア2008 マラウイブース

 おなかも一杯になったので会場を一回り見ていきます。今回は40カ国以上が参加しているとの事。またアフリカ諸国の他に、日本企業の展示もありました。コマツや日立の対人地雷除去装置や、住友科学のハイテク蚊帳とか、なかなか興味深い展示がありました。また、ステージでは、トークショーやフラワーアレンジメントショーが開かれていました。何でアフリカンフェアでフラワーアレンジメントなのかと言うと、エチオピアやケニアではバラなどの切り花の栽培が盛んになっていて、その輸入促進のPRのようです。

Img_2985Img_2991Img_2992 マラウイ共和国のブースを見つけました。国力の割に結構広々としています。輸出用の食品や、北部のムズズMzuzu産のムズズコーヒーが展示されていました。試飲も出来たようですがあいにくもうコップがありませんでした。

 大地の緑、血液の赤、黒人の黒の3色と太陽を描いたマラウイの国旗や、大統領の写真も飾られていました

Img_2986 Mulli Brothers という商社?が、ナッツ類を紹介していました。会社は南部の商業都市ブランタイヤにあるそうです。ひまわりの種とか、ピーナッツとかが展示されていますが、販売はしていません。

Img_2988 Img_2989 妻がムリバンジ?(ご機嫌いかが) と声をかけると、何でチェワ語を知ってるんだとびっくりした様子。英語とチェワ語のちゃんぽんでの会話ですが、すっかり盛り上がってしまい、名刺をもらったり、記念撮影したりで、楽しいひとときを過ごしました。ジコモ(ありがとう)。

 

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2007年10月 8日 (月)

2003年マラウイへの旅25(完結) 帰国

2004年1月2日~3日

 ヨハネスブルグ空港で、香港行きのキャセイパシフィック(南アフリカ航空運行のコードシェア便)のチェックインを済ませたら、さっさと出国手続きへ進む。中に入ってしまえば犯罪に会う可能性は殆ど無いだろう。行きに下見を済ませていた土産物ショップをめぐり、ぬいぐるみや動物の絵柄のトランプ、Tシャツなどを購入する。スーツケースはもう預けてしまってあるので、買ったものはこの先ずっと持ち運ばなければならないが、ショッピングセンター East Gateでは土産物が買えなかったので仕方がない。

 とても楽しかったアフリカ大陸を離れる。でもきっとまた来るような気がする。香港まではまた13時間以上の長旅。偏西風の影響は無く、行きも帰りも同じ飛行時間のようだ。ただ今回は東へ飛ぶので時間の経過は加速される。離陸するとすぐに日没を迎えるが夜の時間も短くなっている。飛行時間の後半はもう明るくなっているはずだが、全ての窓はシェードが閉じられ、機内はずっと減光されたままで深夜ムード。外の様子を見てみようと窓のシェードを少し開いたら、客室乗務員に注意された。香港到着2時間程前、朝食が出される頃ようやく機内の照明が明るくなり、外の様子を眺める事ができた。

 帰りの香港空港では3時間程の乗り継ぎ時間があった。(なお2007年現在のヨハネスブルグ-香港便は時刻が変更され、昼の12:45にヨハネスブルグを出て、翌朝7:55に香港到着。乗り継ぎも良くて9:10発で、成田着は14:35分となっている。)

 空港では日本人の姿も多く、土産物屋のおばちゃんも日本語でまくし立てている。「5個買ったら、1つサービス。お買い得。」 自宅に帰り着くのはまだ半日以上も先なのだが、なんだかもう日本に帰って来てしまった気分だ。(終わり)

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2007年10月 1日 (月)

2003年マラウイへの旅24 ヨハネスブルグのホテル・カジノ・ショッピングセンター

2004年1月1日

 2時間半のフライトを終え、定刻にヨハネスブルグに着陸。香港行きの飛行機は1時間30分後。航空会社も同じなのだから、乗り継げそうな物だが、事前に南アフリカ航空に問い合わせたところ、「乗り継ぐために十分な時間が無い」との返事であった。これが無ければもう一泊マラウイに滞在できたのだが仕方ない。今日はヨハネスブルグ泊。ホテルはMr.孫のお勧めの、Senater Hotel (現在は Metcourt Laurel at Emperors Palace )を予約してある。

 到着ロビーに出ると、荷物運搬を申し出る者やタクシーの客引きなどが群がってくる。全て No thank you. と断って、ホテルの送迎車乗り場へ向かう。黒塗りのミニバンは新しく、よく冷房も効いている。空港を出た車は、よく整備された都市高速道路を走っていく。アメリカの都市と全く同じような光景だ。15分程でホテルに到着。陽気な黒人のベルボーイが大きなスーツケース2つを軽々と運んでくれる。チェックインを済ませ、厚いじゅうたんの敷かれた長い廊下を抜け、部屋へと案内される。大理石をふんだんに使った豪華な造りで、広々した部屋だ。これまで旅してきたアフリカとは、全く別物。

Casino  広いホテルの中を迷いながら、ロビーと反対側に向かって行くと、大きなコンベンションホールがあるが、今日は使われていない。更に裏へ抜けていくと、大きな屋内型の遊園地に出た。1月1日の夜とあって、家族連れで大混雑している。白人・黒人含めいろいろな人種の人たちが一緒に遊園地で過ごしている光景を見ると、かつて人種隔離で悪名を馳せた南アフリカの大きな変貌を実感する。遊園地の隣はカジノになっておりここも賑わっている。カジノにはATMも設置されていたので、シティバンクのキャッシュカードを使って、現地通貨ランドを引き出すことができた。必要な分だけ引き出して使うことができるのは大変便利だ。夕食は遊園地の敷地内にあるシーフードレストランへ。妻はオイスターを食べたかったのだが、残念ながら売り切れていた。

 夕食の後は、ホテルに戻る。このホテルの中にはSPAもあり、行ってみる。水着着用のジャグジーと、男女別の浴場が有り、1時間程を過ごす。同じアフリカの中の国なのに、マラウイとのあまりの大きな差にはいろいろと考えさせられるものがあった。

2004年1月2日

 飛行機の出発は夕方なので昼過ぎまでは遊んでいられる。とはいえ、ヨハネスブルグの町は危険なので、やたらうろうろするわけにはいかない。妻はショッピングに行きたいとの事で、ホテルのフロントで相談すると、それなら「エスチゲイチ」が良いと言う。何度聞いても聞き取れないので、紙に書いてもらうと、「East Gate」。この国もアフリカ訛りだった。そのEast Gate までの往復のタクシーも安全を考えてホテルで手配してもらった。料金も事前にきちんと決まっていたので安心。クレジットカードは使えないとの事だったので、ATMに行って、タクシー代の分だけお金を引き出す。やってきた車は何とメルセデスベンツのEクラス。なんとも豪華である。

 East Gate までは10分程。大型の綺麗なショッピングセンターで、日本と全く遜色ない。ここも多くのお客で賑わっている。ファッション、雑貨、時計、宝石、おもちゃ、書籍、家電、レストラン、銀行と一通りの店舗が揃っていて品揃えも申し分無し。治安も問題無い。ただ、アフリカ旅行みやげになりそうな物は売っていなかったので私は収穫無し。妻はお気に入りの靴が安く買えたようだ。

 買い物を済ませ、約束の時間にまた同じタクシーに迎えにきてもらい、ホテルに戻る。預けてあった荷物を受け取り、ホテルの送迎バスでヨハネスブルグ空港へ。トラブルに会うことも無く、無事に過ごすことができた。

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2007年9月24日 (月)

2003年マラウイへの旅23 マラウイを離れる

2004年1月1日

Llwap1  アフリカで迎える新年。とはいえ、町の様子は特別変わった感じは無いように見える。いよいよマラウイともお別れである。一応国際線なので2時間前に空港に到着する。離発着の少ないリロングウェ空港は1月1日とあってますます閑散としている。チェックインカウンターに並ぶ人もおらず、手続きはすぐに終わってしまう。空港使用料を残ったマラウイクワチャで支払えば、あとはあまりする事が無い。

 出発時刻掲示板をデジタルカメラで撮影していると、空港の警備職員がやってきて、「ここは撮影禁止だ。カメラを没収する。」と言う。気さくなマラウイ人の中にあっても空港職員だけは別のようで、やたら高圧的だ。「撮影禁止の表示なんて見なかったし、こんな空港にいったいどんな機密があるのか。」と反論したい所だが、ここは穏便に「空港が撮影禁止だとは知らなかった。すみません。これはデジタルカメラなので、今撮影した写真を、ほら、このように削除したので、この空港で撮った写真はもう無い。」と話して、その場を切り抜ける。(ちなみに上の写真はその前にフィルムカメラで撮ってあった物だ。)

Llwap2 時間がまだ余っているので2階にある展望カフェでコーヒーを飲む。支払はUS$でできるが、お釣りはクワチャで返ってくる。せっかく使い果たしたのにまたクワチャが残ってしまった。出国手続きを済ませると、本当に小さな免税店が一つあるが、免税店の前にまたまた高圧的な空港職員がいて、「ここには寄らずに、すぐに搭乗口に行け。」と言う。免税店の店員は店の前で恨めしそうにそれを見ている。ひどい営業妨害だ。指示に従って搭乗口に行く。そんなに急かすぐらいだからすぐに搭乗が始まるのかと思いきや、(予想通り)全くそんなことは無い。免税店に行く時間は十分あった。やがてようやくバスに案内され、飛行機に乗り込む。乗客はバス1台分しかおらず、がらがらの状態であった。飛行機の窓から滑走路を眺めていると、珍しく飛行機が着陸してきた。見慣れない塗りわけの機体はエチオピア航空だった。

 定刻前に離陸。さらばマラウイ。

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2007年9月17日 (月)

2003年マラウイへの旅22 再びリロングウェ

2003年12月31日
 首都リロングウェの中心部にある南アフリカ系の大型スーパーマーケット SHOPRITE に立ち寄る。ちなみに、現地の人は、ショップライと発音する。スワヒリ語やチェワ語を始めとするバンツー語系では語尾は母音で終わるので、英語でも語尾に母音を付加する癖があるのだろう。何も特殊な事では無い。日本人も同じで、ショッライと言うではないか。

 ここのスーパーはすごい。アフリカ案内の中のこの写真はモザンビークのベイラのSHOPRITEのようだが、だいたい同じような感じである。駐車場も広いし、入り口の所にはファーストフードコーナーもあり、品揃えも抜群で、レジもバーコードリーダー完備で、日本のスーパーと遜色無い。唯一の違いは、入り口に警備所があり、カバンを預ける事が義務づけられている事だ。万引き対策だ。駐車場の所には、物売りの人たちがたむろしており、ミュージックテープやアクセサリーなどを見せに来る。怪しげなマラウイ音楽ののテープを1本値切って購入してみる。

 次に郵便局の前に移動。ここはフリーマーケット状態になっており、アクセサリーや木彫り細工などを売っている。観光客の数は少ないから、いろいろ人が売り込みにやってくる。売り物の原価を知っている妻から見たら、信じられないような高い値段(日本円で数百円ぐらい)を言ってくる。ディスカウント交渉をするが、なかなか折り合わないので、さっさと退散する事にした。

 今日の宿泊は再び Korea garden だ。6日間お世話になったレンタカーを引き取りにきてもらい、無事に返却する。事故も故障も無く、快適な車で本当に良かった。

 夕食は孫ファミリーの経営する韓国料理店へ。孫夫妻と子供さんも同席してのマラウイ最後の夕食会を楽しむ。アフリカの内陸で食材の調達も大変だと思うが、なかなか本格的なメニューで美味しかった。食事の後は、孫夫妻の部屋でしばし歓談。妻は女同士でいろいろ昔話に花を咲かせる。私はMr.孫と、パソコンや車談義をする。お互い外国語の英語を使って会話をするので、結構気楽である。

 今日は大晦日だが、悪路を含む長い運転で疲れたので、新年を待たずに寝てしまった。外では新年を祝う花火が賑やかかったらしいが、全く気付く事無く熟睡してしまった。

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2007年9月10日 (月)

2003年マラウイへの旅21 さらばコタコタ

2003年12月31日
 3泊ものんびり滞在したコタコタの町とも今日でサヨナラだ。コタコタ製陶所のショップで、お皿、マグカップ、チェスボード&駒などいろいろ買い込む。素晴らしい事にクレジット決済が可能だが、オンラインのターミナルは無いので、懐かしいインプリンター利用である。こんな重量物を持ち帰る事はできないので、船便で日本まで送ってもらう事にする。無事に届くだろうか。(荷物は翌年3月下旬に無事到着した。陶器の破損は無かったが、箱の中には細かな発泡スチロールの破片がたくさん詰め込まれており、ゴミの処分にはかなり苦労させられた。)

 コタコタからリロングウェへは、行きに通ったマラウイ湖に沿った国道を南下し、サリマから西へ向かうのが一般的だ。しかし、コタコタから西へ、狩猟保護区を抜けてカスング方面へ向かう道が整備されたという話を聞き、西回りで帰ることにした。

A_manWest_of_nkk1 West_of_nkk2  何度も訪れたPTCの前の十字路を左折して西に向かう。真新しい舗装道路が続いている。人家は殆ど無いが、自転車で走っているおじさんがいる。カメラを向けると満面の笑みで答えてくれた。やがてコタコタ狩猟保護区の入り口にたどりつく。ここには検問所があり、免許証と車のナンバーをチェックされ、行き先を訪ねられるが、無事に通過させてもらえた。道は山間部に入り、ワインディングロードとなる。快適なドライブだ。保護区なので動物と出会える事を期待したが、結局見かける事は無かった。峠まで登りつめたところで保護区の出口になる。ここにも検問所が作られていた。地図を見るとここで道は二手に別れており、直進するとカスングの町へ至るが、かなり遠回りになる。左折して南下する道も国道になっており、リロングウェまでの距離はかなり近そうだ。

Photo_15  迷い無く左折するが、これが間違いだった。舗装路はすぐに砂利道に変わり、路面に大きめの亀裂も走っている。結局その後も2時間近く延々と未舗装が続いた。そんな所だが、集落は所々にあり、歩行者や自転車とも頻繁に出会うので、運転には十分な注意が必要だ。ようやく未舗装路を抜けて、町らしい町に出てほっとする。PTCは無かったが、代わりに同じようなCTCというミニスーパーがあった。昼食をとるような所もなかったので、ここで休憩をとり、ジュースと菓子で空腹を満たす。その後は穏やかな丘陵地帯を道なりに進んでいくと、リロングウェから北のカスング、ムズズを結ぶ主要国道に合流する。

 大きな道路に出て安心する。交通量も格段に増えて、ミニバスの姿も頻繁に見かけるようになった。コタコタを出てから5時間ほど。ようやく首都リロングウェに戻り着いた。

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