トップページ | 2006年12月 »

2006年11月の8件の記事

2006年11月29日 (水)

U2/VERTIGO TOUR

 11月29日夕方から、さいたまスーパーアリーナに行ってきました。アイルランドのロックグループU2の世界ツアー Vertigo tour 2006、3日間だけの日本講演初日です。本当は4月の予定だったのですが延期になり、ようやくの開催です。
 U2のボーカルのボノ氏は、アフリカ支援をライフワークと考え、様々な活動をしています。2年前の世界エイズデーに関連したMTVの番組をたまたま見ていて、それ以来夫婦でファンになりました。彼は世界各国の首脳と会って経済的な面からのアフリカ支援を訴え、消極的な首脳には厳しい批判を浴びせたりします。一方自らは、「アフリカに必要なのは仕事だ」と、ただ募金や物資を送り込むのではなく、ビジネスとして成立することが重要であると考え、自らのデニムのブランドを立ち上げアフリカで生産するなどしています。http://allabout.co.jp/fashion/kitsch/closeup/CU20050830A/index.htm

多くの金銭・物質的支援が無意味に終わっている現実があるので、ボノの考えはとても妥当で素晴らしいことです。(街中で募金に協力しても、そのお金は途上国の貧しい人には届かず、募金団体の資金になったり、現地の政治家の私腹を肥やすだけです。)

 超満員、約2万人の観客は年齢層も幅広く若者からおじさん、おばさんまで。コンサートは最初から最後までみんな立ちっぱなし。ノリノリで、あっという間の2時間でした。コンサートは随所にU2からのメッセージがちりばめられていました。とても楽しく有意義な時間でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月26日 (日)

タンザニアの旅05 ドバイ空港

9月30日(土)
 エミレーツ航空の機内食は宗教上の配慮からであろう、フィッシュorチキンのチョイス。深夜の離陸でご飯を食べるのもなかなかしんどいものがある。飛行マップは英語とアラビア語で表示される。アラビア語は右から左へ書くようなのだが、数字だけは左から右になっているのが面白い。いつもはつい映画を見てしまうが、長旅なのでさっさと睡眠薬をのんで寝てしまおう。
Dubaiap  約10時間30分のフライト中はずっと夜が明ける事は無く、午前5時に広大なドバイ空港に着陸。(アラブ首長国連邦UAE。日本との時差は5時間。)乗り継ぎ客は手荷物チェックを通り免税店の立ち並ぶ出発ロビーに。24時間営業の巨大空港の構内は早朝とは思えないほどの賑わい。人々が頻繁に出入りする部屋があり、トイレかと思って近づいたらモスクだった。本物のトイレで身支度を整える。水道の蛇口は自動だが、本当に「自動」と日本語だけで表示されている日本製だった。乗り継ぎは5時間もあり、さすがに暇。これからの時間は中東やヨーロッパ各地への便の出発ラッシュで、様々な国の人々が行き交う。白人や黒人の旅行者は床で寝ている人たちも多い。フードコートには各国料理の店が並ぶ。中東に来てまでなんだが、我々はタイ料理のお店で朝食を摂る。定番のパッタイ(焼きそば)と、カオパックン(エビチャーハン)を賞味。日本のお店よりもスパイスが効いていて結構おいしい。となりのインド料理店の前にはインド系の人たちが長蛇の列を作っており、そこだけが異様な混み具合となっていた。

 ようやくダルエスサラーム行きの搭乗手続が始まる。見たところ日本人は我々の他には誰もいないようだ。午前10時予定時間通り離陸。ドバイは近代的な町だが、家と家の間は砂地になっている。そして市街地が途切れると、あとは見渡す限りの砂漠。初めて見る異様な景色に目を奪われる。A330の機内は満席。あちこちでアフリカ人が通路で立ち話をしている。(妻によると、彼らはじっと座っているのが苦手なのだという。)スワヒリ語の単語が所々耳に入ってくるが、会話の内容は理解できない。

 紅海を横断し、ソマリア上空をかすめ、インド洋上を南下。赤道を越え、ドバイから5時間以上。眼下に後日訪れるザンジバル島が見えてきた。サンゴ礁の海が美しい。ザンジバル海峡を飛び越えるとダルエスサラーム上空。いよいよアフリカ大陸上陸だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

滑ってきました

38才から始めたスキーも今年で5シーズン目です。まだ栃木県内のスキー場は開いていないので、金精道路を越えて丸沼高原に行ってきました。金精道路は12月下旬になると冬季通行止めになってしまうので、日光から気軽に丸沼に行けるのは今のうちだけです。(1時間ちょっとで行けます。)
  自然の積雪は殆ど無く、滑走できるゲレンデは3つだけですが、他のスキー場はまだ殆どオープンしていないためか、かなりの人出で、写真の様にリフトの前には長い行列ができていました。Marunuma061126_1
昨シーズンまでにパラレルでほぼ滑れる様になったので、今年は新しいものに挑戦しようと思いました。妻の方も今までは15年物の長いノーマルスキー板で滑っていましたが、重くて持ち運びが大変なので、二人揃って99cm長のスキーボードを昨日購入しました。(この板なら、普通の車のトランクにも入りますね。)
さっそく本日初滑りとなりました。基本的には普通のカービングスキーと同じように滑れば良いのですが、ストックを使わないので、最初のうちバランスを取るのに苦労しました。あと、リフト乗り場の待ち列で前に進めなくて苦労しました。
板が短いので、谷足をしっかり踏ん張らないといけません。大腿四頭筋の疲れ方は5割増しといった所でしょうか。ノーマルスキー歴の長い妻は、まるで見えないストックを持っている様な感じで滑っていました。今日一日で中斜面での滑りはだいぶ慣れる事ができました。12月にはハンターマウンテンもオープンするので、もうちょっと斜度のあるゲレンデにも挑戦してみようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月23日 (木)

タンザニアの旅04 出発

前置きが長くなったので、いいかげんに旅立つ事にしよう。
9月29日(金曜日)
 しかし実際の旅も、なかなか出発に時間がかかるのである。今回は羽田発着。羽田空港の周辺の駐車場は成田の様に安くは無いし、金曜日の夕方で首都高も渋滞が予想される。午前中に仕事してからの出発なので、電車での移動を選択した。
 まず家から最寄りの東武日光駅までスーツケースを転がしながら歩く。ここから羽田空港までは割引乗車券「空の旅おでかけきっぷ」を使う。浅草か押上で東武線から都営地下鉄に乗り換えるのだが、このキップを使うと50円も安くなる。(もうちょっと安くしてほしかったが。)東武日光から下今市まで各駅停車、下今市からスペーシアで浅草まで行く。浅草では一旦外に出て、都営地下鉄の浅草駅まで行くのだが、夕方で人通りは多いし、結構駅は離れているし、階段を下って、上って、また下るので、重いスーツケースを持つ身には辛いものがある。押上乗り換えの方が楽だったかも。都営浅草線は2本ほど見送って、羽田空港行きの直通に乗車。3時間がかりで京急羽田空港駅に到着した。
 手近のJALのカウンターで搭乗手続を始めるが、途中で「ここではありません」と言われ、隅の方にある国際線乗り継ぎのカウンターに案内される。荷物をチェックインすると、なんとダルエスサラームまで預かってくれるとの事。そればかりではない。搭乗券も、羽田-関空、関空-ドバイ、ドバイ- ダルエスサラームの3枚を一度に発行してくれた。ドバイで乗り継ぎ手続きが必要ないし、すでに座席も決まっているのは安心だ。ちなみにエミレーツ航空の格安航空券では、JALのマイルは貯まらないとの事。逆にJALに乗ってエミレーツのSkywardsのマイルを貯める事はできる。20000マイル貯めれば、JALの国内線に無料で乗る事ができる。(今回の旅行だけで17866マイル貯まるので無駄にするのはもったいない。)
旅行会社からは国際線に準じて2時間前集合と言われたが、手続きはスムーズで、羽田では出国手続きも無いので時間が余ってしまった。(日本人は仕事が早い。)羽田から搭乗したのはJALとエミレーツの共同運行便だが、機種はJTA所属のB737で定員150名の小さな飛行機。新幹線を一回り大きくしたような空間で、もちろん座席にテレビも付いていないビジネスライクな乗り物である。周囲もサラリーマンばかりで、旅行に行くというよりも、家路に着くという雰囲気だ。
 1時間たらずのフライトで関西空港に着陸。夜遅いせいか閑散としていて、お店も殆どしまっている。さくさくと出国審査を済ませる。乗り継ぎ時間1時間20分でも余裕がある。(日本人は仕事が早い。)搭乗口に行くとさすがに国際色豊かで、俄然旅行気分が盛り上がってくる。搭乗したエミレーツ機は、エコノミークラスでもフットレスト付きのレカロシート。ビデオシステムも最新。さすがはリッチなUAEの飛行機だ。あちこちに表示されているが全く読めないアラビア文字が楽しい。23時15分、ドバイへ向けていよいよ離陸である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

タンザニアの旅03 スワヒリ語

昨年はタイに行った。成田空港でタイ語の本を買って飛行機の中で読んでみたが、結局はタイの文字に歯が立たず、簡単な挨拶しか覚えられなかった。

 今回の旅行では、もう少ししっかり現地語でコミュニケーションしたい。スワヒリ語はもともとは文字を持たない言語だったらしく、現在はローマ字で表記されている。だから文字を覚える苦労は無い。せっかくなので、挨拶+αぐらいはスワヒリ語で話せるようになり、スワヒリ語の看板も読めるようになりたい。たった10日の旅のためにと何ヶ月も努力するのはばかばかしいと思われるかもしれないけれど。

 とはいえ近くにスワヒリ語を話す人がいるはずも無く、スワヒリ語会話スクールがあるわけでもない。ネットで調べて「まずはこれだけスワヒリ語」という本を通販で購入し、勉強を開始した。

 スワヒリ語はヨーロッパの言語とは全く異なっており、接頭辞というものが発達しているということがわかった。例えば、「良い」という意味の形容詞は、英語ではgood、ドイツ語では gut、フランス語では bon で、形が変わることが無いが、スワヒリ語の -zuri は、修飾する名詞のクラスによって語頭が変化する! habari nzuri (良いニュース)、 chakula kizuri (良い食事)、pahali pazuri (良い場所) といった具合である。これには面食らったが、同時にとても面白いと思った。

 もうひとつ面白いと思ったのが、日本語との意外な共通点である。スワヒリ語では単語は母音で終わる。外来語においてもこの特徴が表れる。internet が intaneti、stamp は stempu に。語尾のuがとても日本語っぽい。computer に至っては kompyuta で殆ど日本語のローマ字表記と同じになる。何だか親近感が湧く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月19日 (日)

タンザニアの旅02 予習

 タンザニアに行くにあたってまずは勉強。日本語のガイドブックは地球の歩き方 東アフリカ ぐらいしかないようだ。ザンジバル島の細かな情報がやや不足しているようなのでLonely Planet Tanzania をアマゾンで入手。

  JATA Tours のホームページで、タンザニアを知るための60章が発刊されるとの情報を得てこれも購入。タンザニアの歴史、政治、文化、産業などいろんな事が書かれていてとても面白い本だった。引き込まれる様に2日で読破。

 このエリアスタディーズシリーズはなかなかマニアックである。マラウイを知るための45章が先に刊行されていたのでこれも購入した。マラウイはタンザニアの南西に隣接した内陸国で、日本での知名度はかなり低い。最近マドンナの養子事件で少しだけ話題になった。実はこの国には日本から青年海外協力隊が多数派遣されている。妻もその中の一人であった。この本を読んでいた妻が驚きの声を上げた。「あっ、私の家だ!」 コタコタのリビングストンの木の写真の後方に、なんと妻が住んでいた家が写っていたのだ。

 これらの本にも触発され、短い旅ではあるが、できるだけタンザニアの文化を理解し、現地の人とコミュニケーションを取りたいと思った。そこで世界史を勉強し直す事にした。
大航海時代に西ヨーロッパの探検家が訪れるよりもはるかに古くから、東アフリカとインドやアラビア世界はダウ船による交易を通じ強く結びついていたのだが、教科書にはそんな事は全く書かれていなかった。

西ヨーロッパ人が到達した後からようやく教科書上の東アフリカ史は始まる。アラブ商人による奴隷貿易。それをやめさせようとしたキリスト教宣教師。しかしやがてそのキリスト教徒であるドイツやイギリスによる植民地支配。独立運動と社会主義。南アフリカのアパルトヘイトとその崩壊。イスラム世界とアメリカの対立の影響。南アフリカ資本の台頭…。日本以外の視点から考える事はとても重要であると感じた。

※紹介した本は、マイリストにリンクを作ってあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月16日 (木)

タンザニアの旅01 計画開始

 先進国よりも途上国に魅力を感じている私たち夫婦。

妻「今年はどこに旅行しようか。」

私「前に行ったアフリカのマラウイはとっても楽しかったけど、全然動物がいなかったんだよね。今度は動物を見に行ってみたい。」

妻「私はやっぱりきれいな海が好き。タンザニアなら両方楽しめるよ。」

 そこで下調べ。既成のツアーでは、タンザニアのサファリとザンジバル島のビーチを組み合わせた物は見つからない。これは自分で手配しないと駄目かなあと思っていたら、Japan Tanzania Tours (JATA Tours)  http://jatatours.intafrica.com/ という強い味方を発見。日本人の根本さんがタンザニアの(事実上の)首都ダルエスサラームで経営している旅行会社だ。メールで旅程などについて相談してみると、はるかかなたの途上国に居るとは思えない様な素晴らしいレスポンスでなんと1時間13分後に返信あり!そこで今回の旅行の手配はJATA Tours さんにお任せしてしまう事にした。

 ダルエスサラームに行くにはエミレーツ航空以外の選択肢が殆ど無い。ケニアのナイロビ経由で入る方法もあり、この場合カタール航空も利用できる。しかし出発は4ヶ月以上先だというのに帰りの座席が満席で、最終日のザンジバル発も早すぎるため没。結局エミレーツ航空で羽田-関空-ドバイ-ダルエスサラームというルートに決定した。サファリは、セレンゲティ国立公園とンゴロンゴロ保護区を回る事になり、到着日にアルーシャで1泊、セレンゲティで2泊、ンゴロンゴロで1泊、ザンジバルで3泊と、数日の間に日程も固まり、宿泊の手配開始。とっても楽ちんである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Habari gani ?

 ブログを訪れて下さったみなさん、はじめまして。きのじゅんです。このブログでは旅の記録、日々の雑感などを書き込んでみたいと思います。

 ブログのタイトル Habari gani ? はスワヒリ語のあいさつです。 Habari はニュースのこと。gani はどんな? という意味です。これに対しての返事は、Nzuri. とか Njema. (良いですよ。)または、Salama.(平和です。)と返します。Nで始まる単語がたくさんあるのがスワヒリ語の面白い所です。

 9月末から10月初めにかけてタンザニアに行ってきました。その時に撮ってきた写真をhttp://www.imagegateway.net/a?i=J7JkZYzDqr で公開しています。野生動物や、美しい海、広大な草原などなど。どうぞご覧ください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

トップページ | 2006年12月 »