タンザニアの旅24 ストーンタウン2 プジョー304と奴隷市場跡
10月5日(木)
昼食を済ませて通りへ戻る。物珍しい光景を撮ろうと、カメラを手に持ってキョロキョロしながら歩いていたら、妻から注意された。
妻「ここは貧しい人も多くて危険なんだから、そんなふうに無警戒で歩いてたら、腕ごと切られて持ってかれちゃうよ。みんな生きていくのに必死なんだから。特に狭い通りは注意しないと。」
私「はい、スミマセン。あっ、古いプジョーが2台も停まっている。」
妻「ちょっと、あなたちゃんと話を聞きなさい。一人で置いてくよ。」
私「ごめんなさい。」
写真に写っている2台のプジョーは304。私の乗っている307から見たら、3世代前のモデル。最終製造は1980年だそうだから、約30年前の車だ。ぼろぼろになりながらまだ現役で活躍している。同じプジョーに乗る者としては何だか嬉しい気分だ。
雑然とした路地を抜け大聖堂へ。ここはかつて奴隷市場だった場所だ。ここザンジバルはアラブ商人による奴隷貿易の拠点だった。内陸から連れられてきた黒人たちは、地下室に集められ、市場で選別され輸出された。そんなザンジバルの暗い過去がこの場所には秘められている。大聖堂の隣、みやげ物店やレストランとして使われている建物の地下には、奴隷が捕らわれていた暗い地下室が今も残り、見学する事ができた。鎖をつないでいた金具も残っている。
狭い路地を歩いていく。通りの両側には商店が連なって、日用品などの他に、みやげ物のアクセサリーやティンガティンガや風刺漫画のような絵が売られている。ラマダンのため飲食物は売られていない。停電のため店の中は真っ暗だ。House of Wonder に戻ろうと、路地を曲がる。あまり人通りの無い道に来てしまったようだ。前方から自転車に乗った若者がやってきて、すれ違いざまに「ここで写真を撮ったな。金を払え。」と英語でいいがかりをつけてきた。私が戸惑いながら若者をにらみつけている間に、妻がすかさず英語で応酬し追い払う。さすがである。
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