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2007年3月13日 (火)

くるま履歴書01 初めての愛車 2代目スズキアルト

新シリーズの 「くるま履歴書」をお届けします。私がこれまでに所有した自動車についての記録です。今のところ全11回程度を予定しています。

◯スズキアルト (2代目)
車体形状: 3ドアバン
駆動方式: FF、変速機: 4MT
排気量: 550cc、出力: 28ps
色: サンジェルマンレッド
所有期間: 昭和61年7月~平成元年11月

 大学4年生の時に、家族からお金を借りて初めて購入したのが中古のアルトでした。(借りたお金は就職した年に返済しました。)

 当時のコンパクトカーでは赤色の人気が絶大で、アルトも中古で流通しているのは殆ど赤。女性ユーザーが圧倒的に多く、女優の小林麻美さんがCMに出るなど、「麻美の赤いアルト」のイメージが大変強力で、男が乗る車では無いような感じでしたが、車両の状態や維持費などを考えて、まあいいやと思って購入しました。思えばこの時赤を選んだ事が後の車選びに大きな影響を及ぼすことになりました。この時のアルトには、後にアルトツインカム、そして550ccエンジンで驚異の64psの高出力を誇るツインカムターボエンジンを積んだ初代アルトワークスなど、硬派仕様が出てきました。

 当時の軽自動車はボンバン(ボンネットバン)と呼ばれる4ナンバーが主力でした。物品税が免除される恩恵があったからです。4ナンバー車には荷室長に関する規制があるからだと思いますが、後部座席は簡易構造で狭くてシートベルトも無く、背もたれも腰の高さまでしかありませんでした。前席のシートベルトは巻き取り式ではなく長さを手動で調整するタイプ。パワステ無し、パワーウインドー無し、リアワイパー無し、ドアミラーの調整は完全手動、エアコン無し、AMラジオのみという装備内容でした。カセットテープが聞きたい時は、ラジカセを車内に持ち込んで流していました。

 パワステ無しの車は微速で車を動かしながらでないとハンドルが切れません。特にFF車では極めて重く、パワステに対して重ステなんて言葉もあったと思います。縦列駐車には半クラッチで僅かに車を動かしながら、切り返しのタイミングを計算しながらのステアリングさばきなど、なかなか高度なテクニックが必要でした。あの頃のドライバーは今の人より圧倒的に運転が上手だったと思います。アルトは車重が軽いので、「よいしょっ」と掛け声かけて力を入れれば比較的楽にステアリングを据え切りする事ができましたし、車体が小さいので駐車も楽ちんでした。他の車が停められないような隙間に縦列駐車して、喜んでいました。

 直進安定性が悪くて閉口しましたが、タイヤ交換の時バイアスタイヤから同じサイズのまま普通のスチールラジアルタイヤに交換したら嘘の様に走りが安定しました。

 キャブレター仕様28馬力の550ccエンジンは非力でしたが、車重が500kg台しかなかったのでエンジン全開にすればそれなりに走ってくれました。しかしタコメーターなどついていないので、エンジンがいったい何回転かとかレッドゾーンがどのぐらいかはわかりません。連続した高速走行の時は水温計に注意を払う必要がありました。

 栃木の冬の冷え込みは厳しいのですが、アルトのエンジンは十分な暖気をしておかないと、ご機嫌が悪かったです。アルバイトの家庭教師先から帰る時、家の人が外までお見送りをしてくれるので暖気運転をする事ができませんでした。道路に合流して加速しようとすると、アクセルを踏んでもエンジン回転がなかなか上がらないため加速できず、後続車に追突されそうになった事があります。

 お金の無い学生時代でしたから、どこに行くのにも基本的には一般道。有料バイパスも全て回避して走りました。北関東全域、福島県、そして静岡への帰省時には遠回りして長野県にも足を延ばし、国道最高地点の麦草峠も越えました。燃費は夏場は18-20km/L程度で、30リッター足らずの燃料タンクを満タンにすれば、600km近く走る事ができ、電車での帰省より経済的でした。

Alto1 Alto2  栃木県北部や福島県境などの林道にも良くでかけ、尾瀬や那須、奥鬼怒などの登山の足にも活躍しました。前後のオーバーハングの短い軽自動車は、不整地でもそこそこ走る事ができます。しかしガタガタ道を長く走っているとエンジンが機嫌を損ねて、アクセルを踏んでいないとプスプスと止まってしまう状況によく陥りました。無人の山の中でエンジンが止まってしまうのは困ります。ギアチェンジの時にアクセルを戻さなければ止まりませんが、気をゆるめると失敗します。そのうちに良い解決方法を見つけました。ボンネットを開けて、アイドリング調節ネジを回し、アイドリング回転数を上げてやります。これでアクセルをゆるめてもエンジンが止まらなくなりました。未舗装路を抜けてエンジンの調子が戻ったら、アイドリング回転数を元に戻してやります。

 初めての愛車アルトは、年間2万キロ以上を走り、3年半でオドメーターは80000kmを越えました。

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