2003年マラウイへの旅05 リロングウェ到着
2003年12月26日
妻によればリロングウェ国際空港は日本の支援で建設されたとの事。ボーディングブリッジは無い。タラップを降りるとターミナルの建物までは僅か50mほどで、歩けそうな距離だが、バスが待機しているのでおとなしくそれに乗って移動する。入国審査場も薄暗くてこじんまりとしている。質素なクリスマスツリーのかたわらには乗り換え客のための Transfer Desk があるが、写真の通り本当にただの木の机である。国内線は殆ど無いのだろう。乗り換える人は誰も居なかった。
リロングウェでゲストハウス KOREA GARDEN LODGE と、韓国料理店を経営する孫氏が空港まで出迎えてくれていた。彼の奥さんは日本人で元青年海外協力隊員で妻と親交がある。今回の旅行では孫夫妻と電子メールでやりとりして、現地の情報を入手したり、レンタカーの手配などをお願いしていた。リロングウェでの宿泊も、KOREA GARDEN LODGE である。孫氏自らが運転するドイツ車で市街地へ向かう。こんな世界最貧国でも商売の才覚のある人たちがいるのだと感心する。空港周辺には人家などないはずだが、道路の両脇には何故か多くの黒人が歩いている。何のために、どこへ向かって歩いているのだろう。行けども行けども人の姿は消える事は無い。私のマラウイ第一印象は「何故かやたら人が歩いている所」であった。
30分ほど走ってリロングウェ市街地に入る。比較的整然とした新市街から、雑然とした旧市街に入ると、道路脇の人の姿はますます増えていく。交差点には信号機は殆ど無い。(たぶんリロングウェ全体で2カ所ぐらいしか信号機は無かった。) 基本的にはラウンドアバウト、日本で言うロータリーになっている。交差部分の道路は円形になっており、ここに4方から来た道路が合流している。全ての車は左回りにラウンドアバウトに合流し、左折したい場合は90度、直進は180度、右折は270度回って目的の道路に流出する。この方法は信号機が不要というメリットがあるが、処理できる交通量は少ないというデメリットがある。
KOREA GARDEN に到着。建物の周辺は高い塀で囲まれ、出入り口はガードマンによって警備されている。婦人が出迎えてくれる。妻は旧交を温める。お子さんは二人いて、幼いうちからマラウイと日本の間を行ったり来たりしている。母は日本語で、父は朝鮮語、従業員たちはチェワ語で話しかけてくるから、大変な国際人だ。
そうこうする内にレンタカー会社の人が車を運んで来てくれた。まだ新しいマツダの中型セダンでおそらく日本では売られていない車種。右ハンドルの5MTで、エアコン、パワーウインドウも完備された快適な車であった。これからの旅の相棒となる。
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