2003年マラウイへの旅06 ウォルター・カヤンゲ氏と子供たち
2003年12月26日
さっそくレンタカーを運転して出発。まずは旧市街地を目指す。旧市街の中心にはミニバスのターミナル、バスデポがあり、その周辺はマーケットになっていて、ものすごい人でごった返している。何とか車を停める所を探して駐車する。
バックパックを胸の前にかかえる様に持つ。背中にしょっていると刃物で切られて中身を盗まれるからだ。周囲の様子にも十分気をつける様に妻から注意を受ける。
マーケットの中に入ると、縁日の屋台のような出店が所狭しとひしめき合っている。店や人の間をすり抜けるようにして奥に入っていく。衣類、怪しげな電気製品(Zonyとか)、野菜、干し魚などいろいろな商品。あたりは生ものの発する臭いに、人々の体臭や排泄物の臭いなども加わり、ムンムンとしている。
妻が、「あっ、グンビだ」と指さす。店で売られていたのは得体の知れない粒々。これは何と聞くと、「グンビだよ。羽の生えた虫。煎って売っているの。貴重なタンパク源。ねえ、アマイ(お姉さん)、ちょっと味見させて。」 と言って、私の手のひらに数匹のグンビを載せた。せっかくアフリカまで来たのでと、覚悟を決めて口に入れる。歯ごたえはあるが、あまり味は無い。よく噛みしめるのもためらわれるので、ごっくんと飲み込んでしまった。
刺激的なマーケット体験を終えた後は新市街地へ向かう。ウォルター・カヤンゲ氏に会う為だ。ウォルターは妻がマラウイに滞在していた2年間ウォッチマンをしていた人だ。途上国では仕事で留守の間に家財道具が盗まれる事は普通にあり得る事なので、青年海外協力隊員を含め外国人は、現地の人を雇って見張りをしてもらう。まあ変な人を雇うとウォッチマン自身が泥棒を働き家財道具と一緒に蒸発してしまう事もある。
妻は派遣の最初の1年間はリロングウェの西にあるナミデテの病院に勤めていたので、ナミデテ在住のウォルターをウォッチマンとして雇用した。残り1年はマラウイ湖畔にあるコタコタの病院で働く事になったが、ウォルターは真面目にとても良く働いてくれたため、特にお願いして250kmも離れたコタコタまで単身赴任してもらったとのだそうだ。そのウォルターとの再会を妻は楽しみにしていた。事前に日本から手紙で来訪の日時を連絡しておいたのだが、果たしてうまく会う事ができるだろうか。一般の人は家に電話など無いから連絡手段は郵便しか無いのだ。(電話をかけたい時は集落の中心部に telephone bureau というお店があってそこで電話をかける事ができる。)
私は海外でレンタカーを運転するのは初めて。それもいきなりアフリカの途上国での運転だ。右ハンドルの左側通行だからその点は日本と同じで良いが、とにかくたくさんの人が道端を歩いているので注意が必要だ。リロングウェ旧市街はそれなりに交通量が多く気をつかう。エアコンが付いているので窓を閉めておいても快適なのはありがたい。(防犯上市街地で窓を開けたまま走るのは好ましく無い。)ラウンドアバウトも何度か通過する内にだんだん慣れてくる。途中スーパーマーケットに立ち寄り、トイレットペーパーやお菓子などを購入。品物の種類は多くないが、一通りの物は売っている。レジ袋は有料で1MKw(マラウイクワチャ)=約1円だ。
新市街に入ると交通量も人の数もいくらか少なくなる。妻の案内に従い住宅地に入っていく。市街地にはエリア番号がふられておりそれを頼りに尋ねていくわけだが、番号の並び方には規則性が無い。ウォルターは今は別の日本人の家で働いている。目的の住所に無事到着。近くにいる人たちが車を見て集まってくる。「ウォルター・カヤンゲは何処?」と聞くと、連れてきてくれた。にこにこしながらやってくるウォルター。笑顔がかわいいおじさんだ。「晩ごはんをごちそうするよ」と手紙に書いておいたので、本人も3人の子供たちもとっておきのおしゃれ着で目一杯おめかししている。でも奥さんが居ない。さっき買い物に行ってしまったという。話をしながらしばらく待っていたがいっこうに帰ってくる気配がない。日も暮れてきたため仕方なく奥さんは置いてきぼりで出かける事にする。妻によれば、アフリカ人の中で生活しているとこういう事は珍しく無いのだそうだ。
旧市街方向に戻り開いているレストランを探すが、あいにくクリスマス休暇で殆どのお店がしまっている。そこでリロングウェ一番の高級ホテル Le Meridian Capital Hotel のレストランへ行く事にした。(この記事によれば2000年3月に Meridian 傘下となったとようだ。しかし2007年現在、ネットで調べてみると Sunbird Hotel に戻っており、Meridian との縁は切れたようだ。)政府関係者や外国人相手のホテルで、料理のメニューは数百MKwぐらいから。日本円で考えるとファミリーレストランよりも安い値段であるが、この夕食だけでウォルターの月給の何倍もの金額である。子供たちは見たことが無いようなものすごいご馳走に大興奮していた。食事の後、ウォルターたちを家まで送り届け、Korea Garden Lodge に戻った。アフリカ人は夜でも結構歩いている。保護色になって見えにくいから夜道の運転はいっそう気を使う。
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