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2008年1月21日 (月)

カンボジアの旅40 トゥールスレン博物館(1) カンボジアの近代史

2007年9月26日(水)
Img_2069  カンボジアの首都プノンペン、プリンセスホテル。午前6時に起床。今日も晴れている。カンボジアに着いてからまだ雨に降られていない。白い建物に朝日が反射してすがすがしい。表の幹線道路もまだ車通りは少ない。夜には気付かなかったが、かなり頑丈な中央分離帯が作られているのがわかる。

 7時前にレストランへ。ビュッフェスタイルで、チャーハン、焼きそば、粥、パン、野菜炒めなどが並べられている。今日も朝からがっちり食べようと思ったが、残念なことにあまり美味しく無い。カンボジアに来て初めてのハズレの食事だ。エレベーターに乗り4階で降りると、周りの部屋の扉は全て開け放たれ、機械が大きな音をたてている。このひどい有り様を写真に撮ろうとした時、掃除のおばさんが出てきたので写真は撮れずに終わった。

 さあ、このひどいホテルはさっさと出て行こう。幸いにももう8時には出発だ。昨日と同じ Vitheanyさんが時間通りに迎えに来る。最初の目的地はトゥールスレン博物館だ。実は今回の旅行で最も重要な訪問先である。カンボジアのツアーは、ベトナムやタイと組み合わされている物が多く、プノンペンを訪れる人は少ない。しかしこの国を知るためにはこの博物館を訪ねなければいけないと思っていた。

 この博物館について説明するためにはカンボジアの近代史について触れておく必要がある。少々おつきあいいただきたい。

 15世紀ごろまでのアンコール王朝の繁栄の後、カンボジア王朝は弱体化し、近隣のシャム(タイ)やベトナムの属国化していた。悲しいかなこの属国状態を脱するために1863年にノロドム国王は、当時東南アジア進出を企てていたフランスと保護条約を結び、結果的にカンボジアはフランスの植民地となってしまった。1887年にフランスはインドシナ半島の広大な範囲を植民地とし、仏領インドシナ連邦を成立させ、カンボジアはその一部となる。結局カンボジアはフランス人だけでなく同じインドシナ連邦となったベトナム人や、中国系移民によって牛耳られる事になる。

 1940年日本軍はインドシナに進駐する。フランス本国の混乱をつき1945年3月、日本の後押しでシハヌーク国王はカンボジアの独立を宣言するが、同年8月の第二次世界大戦の終結、日本の降伏により独立は無かったことにされ、再びフランスの支配下に戻る。

 1953年シハヌーク国王は積極的な外交活動を展開し、ついにカンボジアの独立に成功。カンボジア王国が建国され90年間に及んだフランスによる支配は終結する。シハヌークは1955年父のスラマリットに王位を譲り、自らは人民社会主義共同体の総裁となり、仏教社会主義を唱え独裁的な政治運営を行った。諸外国からの支援もあり当初国づくりは順調と思われたが、やがて縁故主義や汚職など政治腐敗に不満が高まっていった。

 1970年、(大阪万博が開幕した直後)ロン・ノル将軍はシハヌーク国王外遊の隙をついてクーデターを起こし政権を掌握。クメール共和国を宣言したが、政治改革は進まなかった。シハヌークは亡命先の北京でカンプチア民族統一戦線を結成。ポルポトを中心とする共産主義勢力(クメール・ルージュ)と協力してロン・ノル政権に対しての戦闘か始まった。ベトナム戦争もカンボジア国内に拡大した事から、カンボジアは戦場と化してしまった。アメリカ軍の投下した爆弾の一部は不発弾として残っているがその実情は把握されていない。

 1975年4月、ポルポト派はプノンペンを陥落させ政権を掌握し民主カンプチアを樹立する。当初プノンペン市民はこれでやっと平和が訪れると大歓迎したが、彼らを待っていたのは地獄だった。200万人のプノンペン市民を着の身着のまま強制退去させ、農業に従事させた。徹底した共産主義国家建設を目指すポルポトは、伝統や宗教を全て否定し、多くの芸術家や教育者が抹殺され、仏教文化も破壊された。シハヌークは王宮に幽閉された。

 ポルポトは政敵や、元同士を次々と虐殺していった。彼らが収容され拷問を受けたS21と呼ばれる施設が、これから訪れるトゥールスレン博物館である。ポルポトは米の生産力を上げて外貨を獲得する事を目指したが、これまで農業などしたことが無い都市の住民が荒れ地で俄か農家をしたところで生産がうまくいくはずも無く、国力は衰退していった。

 1979年1月、ベトナム軍の支援を受けたヘン・サムリンがプノンペンに入り、ポルポト派はカンボジア西部に敗走した。しかし日本を含めた国際社会はヘン・サムリン政権を承認せず、人道的援助も受けられない状況となった。ポルポト派との激しい内戦は続き、アンコール遺跡はポルポト派の軍事拠点となり破壊された他、双方軍により無数の対人地雷が設置された。

 1991年にパリ協定が結ばれカンボジア和平の枠組みが作られた。1993年に総選挙が行われ、ようやくカンボジアに平和が訪れた。わずか16年前の事である。こうしてカンボジアに観光旅行に来れるようになったのはつい最近の話なのである。

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