古い鉄道写真アルバム26 1981年西寒川支線青梅線八高線
1981年(昭和56年)1月4日撮影
鶴見線の後に訪れたのは相模線です。神奈川県の茅ヶ崎と橋本を結ぶ相模線。当時はまだ電化されておらず、首都圏に残る(取り残された)非電化ローカル線でした。その相模線の寒川駅からひと駅だけ、西寒川支線が延びていました。終点の西寒川は相模川の土手の近く。南側には工場地帯があり、おそらくはこの工場への通勤輸送を目的に運転されていたものと思われます。国鉄時代はこんな存在意義のうすい路線がたくさんありました。この支線も昭和59年に廃止されました。
1981年(昭和56年)1月5日撮影
翌日は五日市線、青梅線などに乗車。この頃はすでに201系が活躍していました。山小屋風の駅舎、大きくカーブしたホームなどは今も変わりが無いようです。構内で見かけた電機機関車の姿はもう見られないのかも知れません。
その後八高線に乗車。武蔵高萩駅で撮影した、ちょっとだけ珍しいステンレス車体のキハ35です。キハ35はロングシートの気動車で、八高線の他、九州などでも使われていました。両開き扉は外吊り式で、あまり気密性がよくありませんでした。殆どは鋼製の車体でしたが、一部は試験的にステンレスで製造され、強度確保のためのコルゲート加工が特徴的でした。
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コメント
大変懐かしい写真を見せて頂き感謝しております。私は昭和36年生まれで東京都府中市に育ち、小中学生の40年代には青梅線や南武線、八高線を一筆書き乗車で楽しんでまいりました。
その頃活躍していたのが青梅線や南武線では写真に載っているED16やEF10とかホキ2500、9500、73系旧型国電、八高線ではツートーンカラーのキハ20とかキハ35、銀色のキハ35-900番台です。近年NゲージのKATOから相次いで模型化されています。
投稿: yuki | 2013年7月 9日 (火) 14時48分
yukiさん、コメントありがとうございます。resが遅くなり恐縮です。
なんとこの記事を書いてから5年以上も経っている事に改めて驚いております。
私は39年生まれなので世代が近いですね。近郊区間の一筆書き乗車、私も何度かやりましたが、SUICAの時代となると今は昔という感じですね。
201系も引退し、日光線には中古の205系が投入されました。比較的世代の新しい特急車が遊んでいる一方で、115系はまだ現役で活躍中。JR東の車両運用の方針もよくわからないところがあります。
投稿: きのじゅん | 2013年7月13日 (土) 00時09分