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2008年5月 3日 (土)

古い鉄道写真アルバム37 1982年高千穂駅

 宮崎県の延岡から山間の高千穂まで伸びていた国鉄高千穂線。1989年に第三セクターの高千穂鉄道に移管されましたが、2005年9月に台風14号による水害で、各所に壊滅的な被害を受けてしまいます。復旧には膨大な費用がかかるため、再開を断念。延岡側の路線は廃止。高千穂側の一部区間については観光用のトロッコ鉄道として運行しようとの動きが続いていましたが、資金集めは目標の2億円に対してはほど遠い状況であり、結局平成19年12月27日に廃止届けが出され、平成20年12月28日に廃止となる予定のようです。

112123 1982年に撮影した終点の高千穂駅の写真です。1枚目は駅近くの高台に登って撮影。2枚目は駅前からホームを撮影したものです。駅は集落の中心からは離れており、周囲は寂しい雰囲気です。柵に止まったカラスが更に寂しさを増しています。線路は高森まで延伸される予定でしたが、建設中のトンネルでの出水事故や、赤字ローカル線廃止の流れの中で建設は中止されてしまいました。線路は駅のすぐ先でぶつっと途切れていますが、その先も路盤は続いていました。

101 高千穂駅から歩いて1つ手前の天の岩戸駅まで移動しました。この駅の延岡側には、高さ105mの高千穂橋梁があります。写真で橋の向こう側に小さく見えるプラットホームが天の岩戸駅です。

 さて、この九州旅行の後、めっきり写真を撮らなくなってしまいました。今から思えばいくつか理由はありそうですが、そのうちの1つは「いい旅チャレンジ20000km」 という国鉄のキャンペーンです。これは国鉄線を乗り潰した線区の数に応じて記念品を贈呈するというもので、乗車の証明として路線の起点と終点の駅名票の写真が必要でした。最初のうち私もこのキャンペーンに参加していました。しかしローカル線の終着駅の駅名票の前に証明写真を取る人が群がるようになったり、僅かな停車時間の間に証明に必要な写真を撮りに走ったりと言う状況。考えてみれば国鉄の乗り潰しという行為は完全に自己満足の世界であり、誰かに認定してもらうような物では無いのです。そう思ってから駅名票の写真を撮ることを止め、カメラ自体も持ち歩かなくなっていました。目の前の光景を眺める事で旅を楽しもうと思ったのです。

 その後も独自に国鉄の乗り潰しは続けました。

 高校3年の夏も、青春18切符を使って旅行に出ていました。台風直撃の夜、東京から大垣行きの夜行列車に乗っていました。列車は停止と運転を繰り返し、夜が開けたときはまだ三島駅でした。その後富士駅までなんとか走りましたが、富士駅を出発したところで突然の停電で列車は止まってしまいました。この停電の原因は、僅か2km先の富士川鉄橋が流出し、架線が切断されたためでした。あと2分早く富士駅を出ていたら、私の乗っていた列車は鉄橋ごと川に流されている所でした。

 あちこち不通になったり、列車ダイヤが乱れたりでこの旅は全くいきあたりばったりになりました。乗り継ぐはずの夜行列車に間に合わず、駅の待合室で野宿をしたりしました。所持金も底をつき、静岡に帰ったときにはバス代も無いような状況でした。

 大学に入っても、北海道で夜行列車の座席に14連泊したり、夏場は駅で野宿したりしながらの貧乏旅行を続けました。1985年8月、東北新幹線の小山駅で国鉄全線完乗を達成しました。

 古い鉄道写真アルバムのシリーズはここで10年間ワープします。次回から最終編の1992年12月の北海道に旅立ちます。

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