私とパソコン07 エニックス ゲーム・ホビープログラムコンテストに応募
(昭和57年頃のお話)
昭和57年、プログラマーの卵たちを熱くするイベントがありました。エニックス(現在のスクウェア・エニックス)が、第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストを開催したのです。優勝賞金は何と100万円。パソコン一式を購入してもお釣りが来る、高校生にとっては巨額の賞金です。
すみやパソコンアイランドの店員さんからは、「ウルトラゴルフ」を応募してはどうかと言われましたが、あまりに拙い出来でとても勝負できるような物ではありませんでした。そこで新たにゲームプログラムを作り上げる事にしました。
私がメインで使っていた FM-8ではシューティングなどのリアルタイム型のゲームを作るのはやや苦手であったため、テーブルゲームのプログラムを組むことにしました。前年にアメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ市を訪問したときに、現地でいくつかゲームを購入して、ホームステイ先で遊んでいたのですが、その中でも最も面白かったカードゲーム「O'NO 99」のパソコン版を作る事にしました。
「O'NO 99」は有名な「UNO」の姉妹版です。実はオマハ市のおもちゃ屋で「UNO」を買おうとしたら「O'NO 99」付きのパッケージが割安で売られていたので、偶然手に入れたという経緯があります。ルールは比較的単純。プレーヤーは4枚の手札を持ち、場に一枚出して、山札を一枚引くのが基本です。場に出されたカードの数字を加算していき、合計が99を超えてしまったプレーヤーが負けとなります。カードの種類は、「2」から「10」までの数字に加え、ヘルパーカードとして「Reverse」(逆順)、「Hold」(固定)、「Double Play」(次のプレーヤーが2度手札を出す)、「-10」(合計を10減算)、「O'NO 99」(場に出せないお邪魔カード)の5種類があります。
すみやパソコンアイランドの展示品のFM-8をお店の2階に移動して、占有的に使わせてもらうという破格の便宜をはかっていただき、開発は順調に進みました。(受験生なのに何をやってんだか。) カードを出していく戦略をどのようなアルゴリズムにしていくかが頭のひねり所でした。とりあえず完成して応募したところ、エニックスからコンピューター側の強さレベルを変更できるようにして欲しいとの要望がありました。そこで、それまで組んでいたアルゴリズムを標準的な強さの「レベル2」として、コンピューターが時々ミスする「レベル1」、コンピューターが共同作戦を取る「レベル3」を選ぶ事ができるようにしました。
いよいよコンテストの結果が発表されました。最優秀プログラム賞は森田和郎氏の「森田のバトルフィールド」、優秀プログラム賞には中村光一氏の「ドアドア」などが選ばれました。残念ながら私の「O'NO 99」は入選する事ができませんでした。賞金でパソコンを買う夢は儚く消えてしまいました。
入選したプログラムは次々と商品化され、プログラマたちのその後の作品から多くのヒット商品が生まれ、エニックス躍進の原動力となったのでした。そしてあの「ドラクエ」シリーズへとつながって行ったのです。
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