メキシカンカリブとニューヨークの旅07 マヤの儀式
2009年10月6日(火)
空き地の傍らにはカヌーの船着場があり、トイレも設置されている。まだ水着を着ていない人はここで着替える。水を汚さないために、日焼け止め化粧品や虫よけ剤などは使わないように注意があった。準備が整ったら再びバンに乗り砂利道を3分程移動し、また車を降りる。荷物はバンの中に置いたままで良いそうだ。ドライバーが見張りをしてくれる。
バンを降りて、ジャングルの中へ分け入る。といってもツアー会社が整備したらしく、足下には砂利が敷きつめられている。カンボジアのレアム国立公園のジャングルとは随分違う。
途中サポディラの木の所で立ち止まる。この木の樹液はチクルといい、現地ではこれを嚙む習慣があった。後にこれに味や香りを付けてチューインガムとなったとの事。
地面には巨大な丸虫のような物が…。
10分ほど歩いてマヤの祭壇に到着した。今回のツアーの名前は Maya Encounter 。しかし、どうも腑に落ちない点があった。「マヤ文明」と「マヤ民族」との関係である。そこで調べて用語を整理してみた。
「マヤ地域」マヤ文明の繁栄したメキシコ南東部、ユカタン半島、グアテマラ、ホンジュラス西端部(モタグァ川流域)、エルサルバドル西端部を指す。(Wikipedia)
「マヤ文明」 紀元前400年以降17世紀に至るまでマヤ地域に栄えた文明。多くの都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、統一国家を形成しなかった。その絶頂期は8世紀で、9世紀以降衰退した。1697年最も遅くまで自立を保っていたタヤサルが陥落、マヤ圏全域がスペイン領に併合された。建築物、石彫、石細工、土器などの作品にマヤ文化の豊かな芸術性が窺える。また、天体観測に基づく暦の計算や文字記録も発達し、鹿皮や樹皮を材料とした絵文書がつくられた。
「マヤ遺跡」 都市国家の跡などマヤ文明の遺跡。多数の遺跡の中で、世界遺産に7つが登録されている。カンクンからはククルカン神殿で有名なチチェン・イッツァ遺跡を訪れるのが定番だが、 片道3時間近くかかるので意外に遠い。
「マヤ文字」 マヤ地域で用いられた象形文字。(なかなか凝った形の文字である。)
と、ここまでは日本語のWikipediaで拾い上げる事ができたが、マヤ民族という項目が無い。しかし英語版で発見することができた。
「Maya Peoples」 結局の所、マヤ人というのは、マヤ地域に住む多数の先住民族の総称という事で、約700万人もいるらしい。ここメキシコのユカタン半島にはマヤ語を話す人は75万人から120万人いて、マヤの系統を示す名字を持つ人はその3倍居ると書かれている。決して少数民族というわけではないのである。ただ、伝統や古来からの風習を今でも守っている人たちは、こういうジャングルの中に多く残っているという事のようだ。
ちょっと頭の中がすっきりした。マヤの人たちの遠い祖先がマヤ文明を支えてきたのは確かであるが、マヤの人たちが「滅亡したマヤ文明の末裔」(平家の落人みたいなイメージ)というわけでは無く、単に「かつてマヤ文明が栄えていた地域に今も伝統を守って住んでいる先住民族の人々」という事である。
さて、これがマヤの祭壇である。祭壇の上には花が飾られている。奥の十字架のような物は特にキリスト教とは関係ないそうだ。ちっちゃくてずんぐりしたマヤのおじさんがやってきて、旅の安全を願って祈りを捧げてくれる。小声だがちょっと高めの可愛い声で、何やら唱えながら、樹脂のような物を熱して出る煙をツアー客にかけて回る。半田付けの時の匂いに似ていた。
お祈り中は撮影禁止と言うことで写真が無い。「ジュンボティク (マヤ語でありがとうの意味だそうだ。) おじさん。ごめんチップ用のお金を車に置いてきちゃった(^-^;」 立っている間にだいぶ蚊にさされた。かゆい。
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コメント
きょうきのじゅんと、化粧した?
投稿: BlogPetのかぶりん | 2009年12月 9日 (水) 14時27分