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2009年11月28日 (土)

メキシカンカリブとニューヨークの旅12 コバグループの球戯場

2009年10月6日(火)

Img_4758 Img_4757  マヤのみならずメキシコの各地の遺跡に存在する球戯場 juego de pelota = ball court 。ここコバ遺跡にも2箇所に残っている。その中ではコバグループの球戯場の方がよく復旧整備されている。

 通路を挟んで2つの斜面が作られている。斜面の上の方にはそれぞれ1つずつ輪が掲げられており、これがゴールになる。斜面部分には2枚目写真のようなレリーフが付けられている。http://www.geocities.jp/ruinas_maya/quintanaroo/coba/index.html にこの図の解説がある。確かに立派な物をお持ちだ。

Img_4790  ガイドさんの解説によると、「マヤの球戯は、政治問題を戦争によらずに解決する方法として用いられた。バレーボールぐらいの大きさの硬いボールを使う。怪我をしないように体にパッドを装着した。手足を使わずにボールを打ち合って、球戯場の丸い輪の所を狙う。先に通した方が勝利となる。一試合は何日もかかる事があった。負けたチームは生贄として捧げられた。」

 手足を使わないというのは、手先や足先を使わないという意味で、膝などは使って良かったらしい。ボールが地面に落ちて止まってしまった場合はどうするのかというと、使っていい場所で少しずつを動かして、壁などの反射で次第にボールに勢いを与えて、競技を続行したらしい。ボールはゴムの固まりでかなり重かったそうだから、一度止まったボールをはね上げさせるのはかなり大変だっただろう。見ている人にとっては結構地味な競技だったと想像する。

Img_4792  マヤ遺跡探訪「球戯・球戯場」のページにも詳しく球戯について解説されている。球戯場の形もいろいろあって、チチェン・イッツァの球戯場は壁が垂直になっているらしい。帰国後テレビを見ていたら、たまたまメキシコ・モンテアルバン遺跡(これはマヤの遺跡では無いけれど)の事をやっていたが、その番組では勝利したチームから一人が生贄になったと解説されていた。時代や地域によっていろいろな目的やルールがあったのだろう。

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