女川町医療支援活動報告02 女川町立病院の状況
女川町立病院は平成9年に女川町中心部に張り出す山を削って、16mの高台に建てられました。もともとこの場所にあった神社は、病院の背後の更なる高台に移築されています。病院駐車場から神社へは100段以上の階段で繋がっています。津波の時は、この神社の境内にも多くの人が避難したそうです。
写真は、町中から見た町立病院です。かなりの高台に建てられている事がわかります。
地震から約30分後の津波第1波は、かろうじて病院の敷地の下までで引いて行ったそうです。しかしその10分後の第2波はこの高台を乗り越えて、女川町立病院の1階にまで押し寄せ、天井まで数十センチまでに達したそうです。外来部門、CTやMRIなどの医療機器や医薬品なども冠水したり、流されたりで使えなくなりました。停電、断水のため病院機能は大きなダメージを受けました。残された患者さんたちや、職員は暗闇の中僅かな非常食を分け合って数日をやり過ごしたそうです。通信手段が無かったため、自分たちの生存を外部に伝える事もできませんでした。また職員の多くは自宅を流され、家族の安否もわからないまま、陸の孤島と化した病院内で、患者さんたちを必死で守る他なかったそうです。
病院内にも多くの避難者が来ていたそうです。隣接する老人保健施設の入所者を病院3階の病棟に移動し、病院の入院患者さんたちは4階病棟に集められたそうです。避難者の方々は他の避難所に移動していただいた他、老人保健施設は福祉避難所として介護を要する高齡者を受け入れる事になりました。
3月13日、偶然女川を訪問していて被災してしまった地域医療振興協会の職員数名が、決死の覚悟で女川町を自動車で脱出。同じ宮城県内の公立黒川病院に辿り着き、女川町立病院職員の無事と困窮を伝えました。これを機に地域医療振興協会は女川の支援に乗り出すことになりました。
私が女川に到着した3月31日の時点では、東北電力の電源車により電気が供給され、給水車から屋上の水タンクへの給水が行われ、院内の水道も回復していました。携帯電話各社の通信網も回復し、外部との連絡手段も確保されていました。衣類、食料などの支援物資も充足しており、被災から3週間経って現地は落ち着きを取り戻しつつあるように見えました。しかし、4月7日深夜の最大余震により再び病院は停電し、給水も止まってしまいました。電気に関しては4月8日に電源車による給電が再開されたそうです。
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