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2011年4月12日 (火)

女川町医療支援活動報告03 女川への道程

 3月31日地域医療振興協会本部から女川に向かった支援隊は、医師5名、看護師8名、介護士2名、薬剤師1名、管理栄養士1名、理学療法士1名、事務3名、医学生3名の総勢24名でした。基本的には、木曜日から木曜日までの1週間ずつ交代で支援を行う計画です。(一部のスタッフは月曜日に交代あり。)

 午前6時、大型バスに乗り込み東北自動車道を北上します。栃木県を抜け福島県に入ると東北道の路面の継ぎ目に段差が目立つようになりました。応急補修されていますが、段差を越えるときには衝撃があります。最高速度も80kmに制限されています。

Sany0868  仙台南部道路から仙台東部道路に入ると風景は一変します。右手(東側)に広がる農地には多くのゴミが散乱しており、この地域が津波で洗われた事がすぐにわかります。一方道路の左手(西側)にはほぼいつもと変わらぬ光景が広がっており、この道路の東西で大きく明暗が別れたのだと実感します。津波に追われた人の中には、この東部道路の土手をよじ登ってかろうじて生き延びた人も多かったそうです。

 利府ジャンクションから三陸道に入りますが、この道路は海から離れた場所を通っているため、沿線の風景は通常と変わりません。災害支援の幕をつけた自衛隊車両と多くすれ違うようになりました。

 石巻河南インターで降り、石巻市街地方向へ向かいます。インター近くの蛇田地区は郊外型店舗が集積している所です。多くの店舗が営業再開しており、スーパーの入口には長蛇の列ができていました。市街地の道路はひどく渋滞していました。また反対側にあるガソリンスタンドには給油待ちの車が途方も無い長い列を作っています。車で並ぶのを諦めて、ガソリン携行缶を持って給油を待つ人の列もできていました。

 北北上運河の近辺から津波の爪痕が見えてきます。沿道の多くの店舗や住宅に床上浸水の形跡が見えます。Sany0877多くの店舗が休業している中、何故か釣り具の上州屋が開店していました??旧北上川にかかる石巻大橋からは、船が川縁の道路にうち上げられているのが見えました。

Sany0880  海岸近くの渡波地区にさしかかると、更に風景は一変しました。道路の両側は土砂や瓦礫、半全壊した建物、流されてきた自動車などで埋め尽くされています。道路は所々除去しきれない瓦礫で狭くなっており、大型バスは対向車とのすれ違いに苦労します。
 その先万石浦の周辺はゴミは散乱しているものの、損壊している建物は無く、明らかに津波の影響が少ないのがわかります。極端な巾着湾が波の進入を防いだことがわかります。 ちなみに万石浦は世界で初めて牡蠣の養殖に成功した所なのだそうです。
 峠手前の女川高校グラウンドでは、インドチームが拠点を構えていました。行方不明者の捜索や、瓦礫の撤去に活躍して下さっていたそうです。女川町中心部に向かって下っていくとき、その凄惨な光景に誰もが言葉を失いました。12時30分過ぎ、女川町立病院に到着しました。

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