女川町医療支援活動報告07 救急対応・当直と院内での生活
前回のレポートでお伝えしたように、女川町立病院の医療機能は著しく低下しており、重症の急性疾患に対応できる状況ではありませんでした。MRI/CTが壊れてしまったので、脳卒中、急性腹症などは診断が難しく、肺炎についても重症のものは設備の整った病院へ送るべきと判断されました。入院適応となるのは、比較的軽症(と思われる)肺炎、嘔吐下痢、単純な尿路感染症といった所でした。
市街地の道路が倒壊したビルで通行できない部分があったため、町内を移動する車の多くが病院の敷地内を通過していました。救急車が素通りして行く事も時々あり、搬送されてきたのかと思って慌てて出て行ったら、そのまま行ってしまって拍子抜けする事もありました。
幸い滞在中交通事故はありませんでしたが、期間の後半になるとガソリン事情が改善したためか、被災地見物と思われる人が増え、瓦礫のために見通しが悪くなっている道路に所構わず駐車して写真を撮っている人もいて危険でした。
通常の午後診療は3時で受け付け終了でしたが、その後もパラパラと受診がありました。午後5時~午前0時までは準夜、午前0時から8時までは深夜として、支援医師で当番を決め、救急受診者や、入院患者さんの容態の変化に対応しました。院内のPHSが使用できないため、トランシーバーを使用していましたが、うまく連絡が取れない事も多く、医局へ直接呼びに来ることも多かったようです。宵の内は来院者も比較的多いです。日中復旧活動などをしていて受診できず、夕方以降に来院される方もいました。深夜帯の受診者はごく僅かでした。
病院機能としては1次+α程度に留まっていたため、2次救急以上の症例は後方病院への搬送が必要でした。搬送先は事実上石巻日赤病院しか無く、全て同院に搬送されました。仙台地区の病院に通院していた方についても、直接かかりつけ病院に搬送する事はできませんでした。(相手先も多忙のためか、電話連絡もつかない事が多くありました。)石巻日赤病院もそうとうの負荷がかかっていたはずですが、近隣の他病院が全て大きな被害を受けていたため、地区の2次以上の救急を全て引き受けざるを得ない状況で、お気の毒でした。
支援部隊のうち医師は医局で、事務は開設準備室(元は院長室)で、その他のスタッフは会議室で寝泊まりしていました。院内の電気は復旧していましたが、空調装置は使えず、石油ストーブで暖を取りました。連日給水車から屋上の水タンクにポンプで給水し、院内の水道や水洗トイレが利用できる様になっていました。初期に行った方々は、屋外の簡易トイレで震えながら用を足していたそうです。
カーペット敷の部屋を土足禁止にし、床にダンボールや毛布などを敷き、寝袋で寝る生活でした。当直医にはソファの上で眠る特権が与えられました。会議室は女性スタッフも多いのに、男女相部屋のため着替えなどもできず苦労していたようです。地域医療振興協会で用意してくれた寝袋はなかなか優秀で、頭まですっぽり入ってしまえば暖かく、私は良く眠る事ができましたが、女性スタッフなどは手足が冷えて辛かった方もいたようです。
食事に関しては、入院患者さんや老健入所者の分とあわせ、勤務する職員、ありがたい事に支援隊についても提供されました。(ボランティアなので、本来は自分の食事は自分で何とかするのが当然。) 1階にあった厨房は被災で使えなくなってしまったため、煮炊きが必要な物については当初は屋外で薪をくべて行い、後には少し離れた場所にある集会所の調理場をお借りして調理をしていたそうです。とはいえ、常に暖かく栄養バランスを考慮した食事を入院患者さんに提供する事は難しく、管理栄養士さんたちは忸怩たる思いをしていたのでは無いでしょうか。
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