寝袋5泊目@女川
医局の床に段ボールを敷いて寝袋で寝る生活も5泊目となりました。慣れると思いのほか快適で、良く眠れます。病院内や一部地域は電気も復旧し、携帯電話もつながるようになりました。
相変わらず日に何度か余震が有りますが、とりあえず震度4まででおさまっています。
完全に壊滅した町の姿には心が痛みます。瓦礫と化した我が町の姿に、住民の方たちの心中いかばかりか…。そのような中でも生き抜かねばなりません。復興への長い道のりの中で、医療の果たす役割は大きなものがあります。
大きな災害の時、我々の病院は地域の希望の光となれるでしょうか。いや、ならなくてはなりません。
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コメント
きのじゅん先生お疲れさまです。
先日伊豆下田病院から被災地に出向いていた看護師も職場復帰いたしました。
地震があったすぐに100人を超える協会医師がすぐに手を挙げてくれたと聞きました。
きのじゅん先生はじめそんな協会医師を私は誇りに思います。
被災地では、津波で亡くなられたかたが多く、救護活動に加え検死などの協力も多いと聞きました。
そのために医師の精神状態のケアも必要と…
自分の体調管理にもお気をつけ下さい。
投稿: | 2011年4月 5日 (火) 21時55分
他スレも含め皆様コメントありがとうございます。今、スマホしか無いのできちんとした返信ができず恐縮です。体調を崩すこともなく、日々貴重な勉強をさせていただいています。
投稿: きのじゅん | 2011年4月 5日 (火) 23時15分
ご無沙汰しています。先生は女川に行っているのでは・・・という予感がして数年ぶりにココログをひらいてみました。こちらの避難場は要介護のお年寄りが二十数名います。医療依存度の高い方もいます。でも、人の手や情報が錯綜し、医療や援助がつながらず少し情けない気持ちになります・・。こんな時、先生だったらどうしてたのかなとも思ったりします。ココログをみて先生の頑張りを読んでこのままではいかん!!と思いました。
まずは自分の出来ることから・・がんばってみます。
投稿: kasa | 2011年4月 6日 (水) 00時38分
女川の支援での想いについて拝読しました。
毎日テレビ情報で、地震の状況が報告されていますので、被災地の方も支援の方々も大丈夫かと心配しています。
投稿: | 2011年4月 6日 (水) 08時26分
本日、女川町立病院での1週間の支援活動を終えました。皆、無事で帰還しております。女川町も少しずつライフラインが復旧してきていますが、中心市街地が壊滅しており、今後の町の姿がどうなっていくのか、まだまだ先が見えない状況です。長期に亘る継続的な支援が必要です。
投稿: きのじゅん | 2011年4月 7日 (木) 22時41分
女川から戻ったとたん、昨日深夜現地で大きな余震がありました。東京都内のホテルの19階に居たのですが、長周期の揺れで、ミシミシ言ってこれはこれで不安なものです。
幸い、女川町立病院では人的被害は無かったそうです。津波警報が出たため、3階の入所者を4階に移動させるなどの対応に追われたとの事。復旧しつつあったライフラインですが、再び停電になってしまったそうです。被災地の方々も少しずつ落ち着きを取り戻しつつあっただけに残念です。我々と交代で支援に入った支援隊も、色々と大変なご苦労をされていると思います。
投稿: きのじゅん | 2011年4月 8日 (金) 09時26分
市立奈良病院の忽那です。
女川での1週間、ご指導ありがとうございました。
今後も市立奈良病院、地域医療振興協会の一員として継続的な支援をしていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: くつな | 2011年4月 8日 (金) 17時04分
忽那先生、1週間お疲れ様でした。無事に戻られましたか。今回、現地職員や支援部隊の一人一人の頑張りに大いに勇気づけられ、貴重な勉強をさせていただきました。ありがとうございました。女川の復興の道程は長く、今後とも継続的な支援が必要です。力を合わせて頑張りましょう。
それにしても、我々が帰ったとたんの巨大余震…、言葉を失います。
投稿: きのじゅん | 2011年4月 9日 (土) 00時12分
木下先生、女川では大変お世話になりました。初めてお会いしましたが、同窓生というだけで無遠慮な私にも、優しくして頂き感謝しております。天草の片田舎でぼんやり開業している私にとっては、大変勉強になった1週間になりました。いままで、自治医大には卒業以来あまり近着かなかった私でしたが、その卒業生の先輩方や後輩の方に触れ、言いようのない安堵感を感じています。帰りのヘリコプターから、那須連山が見えていました。私が大学1年生の新入生歓迎のBBSで登山した山です。私のBBSの班長は1期生の奥野さんでした。山頂で、自治医大設立の趣旨というか、自分達が目指すものというかについて熱く語っておられたのを思い出し、今回の女川行きは、これを思い出す旅だったんだと思いました。また、お会い出来る日を楽しみにしています。
投稿: 中村 英一 | 2011年4月12日 (火) 17時01分
中村先生、疲れは取れましたでしょうか。大先輩の存在は大変心強い物がありました。小児用の薬品や、後方の医療資源も乏しい中、多くのの小児の診療に対応していただき本当にありがとうございました。我々が居た1週間は余震も震度4止まりでしたが、その後の大きな余震には驚愕しました。しかし、女川町は余震に負けず、復興への道を進み始めているようです。
いつかまたお会いできる事を心より願っております。島原・雲仙には行きましたが、天草にはまだ行ったことが無いので、そのうちに是非行きたいと思います。
投稿: きのじゅん | 2011年4月12日 (火) 23時13分