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2011年5月 7日 (土)

女川町医療支援活動報告16 とりあえずのまとめ

 女川からの帰路は地域医療振興協会のヘリで新木場まで運んでいただきました。上空から女川、石巻、東松島の被害を見ました。名取川の河口付近も遠望しました。今回の震災の、とてつもない規模に改めて圧倒されました。動画ではヘリからの空撮を2本ご紹介します。ズームインすると酔いそうな映像になりますが、ご勘弁下さい。

 映像最初に映る堀切地区は女川町中心部から低い峠を越えた所になりますが、津波の被害を受けているのがわかります。峠を越えて津波がここまで来たようです。不思議なことにそこから下流方向の万石浦にかけては被害があまり見られません。

 石巻の映像は渡波地区から、石巻港にかけてです。広範囲の低地が津波に洗われたのがわかります。

 女川町から戻った後、お会いする方々から「大変でしたね」と声をかけられました。私などはすでに出来上がった支援体制に乗っかっただけ。そして、多くの職種の方々の地道な仕事により、支えられていただけなので、実はそんなに大変だったとは思えません。

 本当に大変だったのは、被災した方々、斉藤病院長を始め、ずっと女川町立病院で頑張り続けている職員の皆さん、いち早く現地に乗り込み支援の枠組みを作り上げた先遣隊、行政や各医療チームの皆さんなど。また、勤務先や協会本部の多くの人の協力をいただいたので出掛けることができました。ありがとうございました。

 今回の支援活動を通じて、女川町立病院の職員の皆さんや、日本全国や、遠くはアメリカからも集まってきた方々と、交流の機会を得ることができ、かけがえの無い体験となり、大変勉強になりました。

 伊東市を始め伊豆半島の海沿いの町にとっても、この津波の被害は人ごとではありません。今後の災害対応に活かしていければと思います。

 地理の授業でリアス式海岸とは山が海に沈んでできた地形と教わりました。三陸海岸はこうやって、何万年もかけて地殻変動を繰り返していくのかも知れません。今後の町の復興にも、津波対策を欠かすことはできないのはこの地域の宿命なのでしょう。しかし、その複雑な地形こそが豊かな海の恵みをもたらし、この地域の人々の生活を支えてきたのです。海から離れては暮らせないのもまた事実です。

 女川町が美しい姿を取り戻すのにはまだまだ長い年月が必要です。住民の方々が安心して生活を続けるためには、医療の果たす役割も重要です。今後も出来る範囲で支援を続けていきたいと思います。

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