南アフリカ西ケープ州の旅18 ロベン島1
2015年7月27日(日)
V&A Waterfront から Robben Islandまでの船旅は30分ほど。背後には今日もすっきりと晴れたテーブルマウンテンが見えます。テーブル湾は湾とはいえ程々に波があります。船酔いするほどではありませんが。大陸からさほど遠く無いこの島が流刑の場所として選ばれたのは、周囲の海流が早く脱出が困難であったからだそうです。娘にせがまれて船の2階に上がりました。海上は結構寒いのですが、平気で風に吹かれてます。
17世紀以降この島は刑務所やハンセン病患者の隔離施設として利用されてきました。アパルトヘイト下では、多くの黒人政治家が政治犯として投獄されました。その中で最も有名なのは、Nelson Mandela氏でしょう。1962年に逮捕されたマンデラ氏は、64年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、1982年までの18年間ロベン島に収監されていました。その後大陸の刑務所に移送されまたが、1990年に釈放されるまで実に27年間も獄中生活が続きました。刑務所での過酷な労働の様子や、獄中でも勉学を続け通信制大学を卒業したことなど、その様子は著書「Long Walk To Freedom」に記されています。
島の東側にある港に到着。船を降りて、案内放送に従って刑務所跡の方向へ三々五々移動します。途中に立っている係員のところである程度の人数ごと集まるまで足止めして、順番に刑務所の中へと送り込まれます。この先の案内係をつとめるのは、かつてこの刑務所に収監されていた元黒人政治囚の方々。
写真の独房は、ネルソン・マンデラが収監されていたところだそうです。床に敷かれた粗末な筵と薄い毛布で寝て、トイレ代わりのバケツも置かれています。カンボジアのツールスレンを思い出します。妻、「なんだか刑務所ばっかり訪問しているよね。世界の刑務所から…タラッタッタッタターララ-」
集団作業をさせられていた中庭を見学したあと、集団で収監かれていた部屋へ。粗末で柵も無い2段ベッドが並べられています。「これじゃ下におちちゃうよね。」と娘。うん、あなたは下のベッドでも落ちそうだけど。
パネルには、当時の刑務所での食事が書かれています。この刑務所に収監されていたのは黒人だけでは無いのですが、アパルトヘイト下の南アフリカでは刑務所の食事でさえ人種ごとに差別されていたということが示されています。
左側はカラード(白人と黒人などの混血)用の食事内容。右側が黒人用。主食はカラードが朝Mealie Meal(とうもろこし澱粉) 6オンス、昼夜がパン4オンス。黒人は朝夕Mealie Meal 6オンス、昼がPuzamandla(粉を水に溶いたもの)。その他肉の量、ジャムやシロップの有無、コーヒーの量まで両者で異なっていたそうです。
何だかよくわからない狭いところに連れてこれらて、ずっと意味のわからない話を聞かされて、娘はつまらなさそうにしています。
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