カテゴリー「女川町医療支援」の51件の記事

2012年3月 2日 (金)

3月6日 女川町地域医療センターより生中継予定

 3月6日(火) NHKニュースおはよう日本で、女川町地域医療センターから生中継が予定されているそうです。放送時間は7:00から7:30までの間の10分程度で、生中継の他、離島巡回診療などの様子も放送されるとの事です。
 電車で移動中のためリアルタイムでは見られそうにないため、さっそく録画予約しました。

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2011年10月 5日 (水)

女川町立病院は女川町地域医療センターに

 平成23年10月1日から、女川町立病院は、半年遅れで地域医療振興協会を指定管理者とする指定管理制度に移行し、女川町地域医療センターとして再出発しました。
 津波被害を受けた病院施設を改修。3月11日までの100床の病院+別棟の50床介護老人保健施設の形態から、19床の有床診療所+50床の介護老人保健施設(改修終了後は100床)に変わり、これまでのミニ総合病院から、地域の実態にあった、地元密着型の医療機関へと変わります。巡回診療や訪問看護などの在宅医療や、仮設住宅や離島への巡回診療などが開始されるそうです。津波で市街地は消失してしまいましたが、新たに病院敷地内に調剤薬局が開局し、院外処方が再開されるとの事。
 まだまだ先行きが不透明な点も多い女川町ですが、医療機関の安定と充実がこれからの街づくりの重要な基盤となる事は言うまでもありません。斉藤院長始め、職員の皆さんの活躍に期待しています。また都合がつけば、復興する女川の変化を見に行きたいと思います。
 「がんばっぺ 女川」

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2011年8月21日 (日)

第5回へき地地域医療学会

 8月20日と21日の日程で、第5回へき地地域医療学会が開かれています。今回のテーマは、「震災と地域医療 ~展望と課題~」となっており、20日午後には、宮城県女川町の安住町長さんや女川町立病院の齊藤院長の他、実際に東日本大震災の支援に活躍したパネリストによるシンポジウムが開かれました。また演題発表として、医師、看護、介護、リハビリ、栄養の各職種、支援した側、支援を受けた側それぞれの立場での発表がありました。
 特に、女川町や町立病院関係者の方々にとっては、震災からの5ヶ月間の経過や活動を見つめなおす機会となったようです。支援する側、される側、それぞれの思いに最初はすれ違う所はあったにせよ、次第に相互理解が進み、すり合わせが行われていく過程がよく見えた気がします。
 被災地の復興への道程はまだまだ長いですが、より以上に素晴らしい町の復興を目指して、明るく前向きに取り組んでいく事が重要であると実感しました。そして、今回被災しなかった地域でも、明日の我が身と思って、今後の対策を考えていくことが必要だと思いました。

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2011年8月 9日 (火)

女川町医療支援活動報告39 町の写真(7月24日その2)

Sany1385  7月24日午後の町内巡りの続きです。総合体育館から北側に坂を下り清水地区に向かいます。女川(という川)沿いのこの地区にも津波は押し寄せ、集落は壊滅してしまいました。車道の両脇は、瓦礫の仮置き場となっています。町中が片づけられた半面、こうやってうず高く瓦礫が積み上げられた場所が、女川でも石巻でも散見されました。

Sany1387  瓦礫の山の間を行く車道を進んでいくと、右手に立派な建物が2つ並んでいます。建物の外壁は残っていますが、内部や敷地内は瓦礫で埋まっています。東北電力の女川原子力センターと、Sany1388 宮城県原子力防災センターという表札が見えました。

 間一髪のところで冷温停止できた女川原発。今後運転が再開される事はあるのでしょうか。これまで女川町の財政は、原発城下町としての補助金に支えられてきましたが、その先行きは不透明です。もともと約1万人住んでいた町ですが、1000名ほどの方が亡くなったり行方不明。町外に避難された方も多く、現在も残っているのは約半分との事です。今後の人口流出をくい止める為にも、迅速な復興計画の策定が望まれるところです。

Sany1390 海岸に出たところはちょうど女川漁協のあった付近。ぽっかりと口を開けた漁協の建物越しに、復旧された魚市場の埠頭が見えました。破壊の爪痕と、復興の息吹とを組み合わせて撮影してみました。

Sany1392  岸壁に沿って南へ進み、観光桟橋にやってきました。ゴロリと転がっていた大きなタンクが撤去されすっきりしました。翌日25日からの離島航路暫定再開に備えて、案内板が設置されていました。平地が殆ど無い二島の復興は本土以上に大変な苦労を伴うと思います。それを乗り越えて素晴らしい町が再生する事を願います。

 さて、3月、5月、6月、7月と女川町を訪れ、微力ながら医療支援に参加させていただきました。私の定期的な女川訪問はこれで一段落となりますが、また機会が得られれば、女川を訪れたいと思っています。

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2011年8月 5日 (金)

女川町医療支援活動報告38 町の写真(7月24日その1)

 7月24日日曜日、久々にすっきりと晴れました。この日の午前中女川町立病院は点検作業のため停電。検査も、レントゲン撮影もできない状況でした。

 午後から他の支援ドクターと交代して、町内巡りに出掛けました。23日はマウンテンバイクを使いましたが、今日は敢えて歩いてみる事にしました。

Sany1378 町立病院から、JR女川駅前を通り、高台にある総合体育館方向に向かいます。途中女川第二小学校の敷地内に、仮設の女川町役場ができていました。なお、町の保健センターと包括支援センターは既報の通り、町立病院隣の旧老人保健施設の1階に設置されています。

Sany1379 総合体育館への入口、運動場の脇には、ミヤコーバスとJR石巻線代行バスのバス停(女川側の終点)が設置されています。旧市街地に誰も住んでいない現在、この総合体育館が街の中心部と言えそうです。ボランティアセンターや、絵本館なども設置されていました。

 「原子の灯のふるさと女川町」という看板には、今となっては複雑な感情を抱かざるを得ません。

 震災直後には800人もの方が避難生活をおくっていた総合体育館ですが、仮設住宅への転居や、町外への転居などで、徐々に避難者は減少しているようです。とはいえ現時点でも数百名の方が不便な避難生活をおくっています。玄関付近ではすかいらーくのボランティアチームが活動していました。野外に設置された簡易トイレの付近には、多数の蠅が飛んでいました。ハエ取りペットボトルが所々に吊るされていて、中には多数の蠅が落ちていました。隣接するテニスコートでは、引き続き自衛隊の方々が駐留しており、夕方以降「弘法の湯」として入浴サービスを提供しています。無料の送迎バスも運行されています。

 

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2011年8月 2日 (火)

女川町医療支援活動報告37 JR石巻線女川トンネル(7月23日午後)

 7月23日午後の 町内探訪では、JR石巻線の女川トンネル方向へと進みました。なお、5月28日の様子は過去記事に掲載しています。

Sany1369 JR女川駅から石巻方向に進むと500mほどで女川トンネルになります。5月28日の時点では路盤にはたくさんのゴミが散乱していましたが、Sany1370今回訪れてみると線路は撤去され、路盤部分は砂利が敷きつめられ、ならされていました。なお、撤去された線路や枕木は、線路脇に綺麗に積まれていました。復旧工事の際には再利用されるのでしょうね。

 1枚目と2枚目の写真は踏み切り(のあった場所)から、石巻方向とと、女川方向を撮影したものです。線路脇の道路に横転していた国鉄色のキハ40 (温泉施設のための留置車両) は撤去されていました。

Sany1371Sany1373 線路敷に沿って石巻方向に進んでいくと、すぐに女川トンネルが見えてきます。入口にはロープが渡されていて、内部への立ち入りは禁止されています。

 トンネル入口の周囲には、無数の擦り傷のような跡が見られます。津波で押し流されてきた家や、車などがぶつかってできたものでしょうか。

Sany1374 トンネル内の線路はそのまま残されていました。トンネルの内部を覗き込むと、壁材が剥がれて、天井からも垂れ下がっています。トンネル内部にも津波が押し寄せたのがよく分かります。

 この区間の鉄道復旧は、町の復興計画との絡みでまだまだ目途が立ちません。

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2011年7月31日 (日)

女川町医療支援活動報告36 女川漁港(7月23日午後)

 7月23日午後、宮ヶ崎地区から女川漁港・魚市場方面へまわりました。
Sany1362   この周辺の埠頭は瓦礫の仮置き場としてSany1363使われていました。うずたかく積み上げられた瓦礫は、町立病院から遠望しても良く目立ちます。
 魚市場の東脇の埠頭には漁網や浮きなどが積み上げられていました。海から引き上げられた物でしょうか。この付近の埠頭には特に修復された様子はありません。
Sany1365  そこから西側(町中心部側)に移動すると、Sany1366埠頭は嵩上げされ、再整備されていました。(女川の町なかで、きちんと再建された唯一の設備ではないでしょうか。)
 真新しい埠頭には数隻の漁船が停泊しており、復興への息吹を感じさせます。
 3枚目の写真はマリンパルを、4枚目は女川町立病院を背景に入れて撮影してみました。

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2011年7月29日 (金)

女川町医療支援活動報告35 川尻、宮ヶ崎地区再訪(7月23日午後)

Sany1356 4月2日にローラー作戦で訪れた、川尻・宮ヶ崎地区の様子を7月23日午後に見てきました。
  写真1枚目。女川という川の河口付近に女川橋という国道の橋がかかっていましたが、津波で流出してしまい、現在は川の上を埋め立てて道路にしています。路面の下に太い通水管を通してあります。北側の岸には、骨組みだけとなったいくつかの建物が、未だ多くの瓦礫が乗ったままの状態で置かれています。市街地の瓦礫の多くが撤去されましたが、ところどころこのように未撤去箇所も残っています。
Sany1359 「橋」の向こう側から左手の山に上っていく急斜面の途中に、川尻地区の住宅があります。被災時はちょうど下水道工事の途中だったため、歩道の真ん中には下水管を通すための深い溝が掘られたままとなっており、通行に危険がありました。今回はご覧のようにしっかりと埋め戻されていました。

 写真奥に写っている家は、津波で土台と上屋がずれてしまっています。建物の耐震診断で「危険」と判断され、大きな張り紙をされた家も何軒か見かけました。前回訪れた時は人が住んでいた家も含まれているようでした。Sany1361

 坂を登り切ると、真新しい車道に出て、宮ヶ崎地区へと下っていきます。以前ワゴンRが電柱と法面の間にはまっていた場所に来ましたが、綺麗に撤去されていました。電柱も曲がっていません。撤去作業は大変だったでしょうね。冠水して使用できなくなった集合住宅の駐車場には、ナンバーを外され廃車を待つ車がたくさん停まっていました。4ヶ月以上を経過し、車体のあちこちに錆が出ていました。

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2011年7月27日 (水)

女川町医療支援活動報告34 コンテナ商店街(7月23日午後)

Sany1351 7月3日の記事で既に紹介しましたが、7月23日午後、私もコンテナ商店街に行ってみました。
 女川町立病院から、石巻方向に坂を上って行った途中に黄色い幟が立っているのが目印です。ここを右折してすぐ左側の敷地にコンテナ商店街が作られています。
Sany1352 店舗は、花、日用品、衣料、八百屋、電器店、居酒屋、魚、惣菜など。缶飲料の自動販売機も2台設置されています。
 コンテナの前にテントを張って、そこで店を開いている所と、コンテナ内で商品を陳列している所があります。食料品を扱うお店は、コンテナの入口を閉めて営業していました。蠅対策でしょうか。

Sany1354 夏だというのに肌寒い天候で、霧雨も降り出してきたため、人出はあまり多いとは言えない状況でしたが、町内でも数少ない店舗なので、更なる賑わいを期待したい所です。
 この他、堀切地区で津波で被災して休業中だったコンビニ・ココストアがありましたが、今回通りがかったら、ファミリーマートの看板が掲げられて開店準備に入っていました。

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2011年7月25日 (月)

女川町医療支援活動報告33 JR女川駅跡(7月23日朝)

Sany1338_2 7月23日朝の診療開始前、JR女川駅の方面へ歩いてみました。女川町立病院から北側へ降りた所の車道は、嵩上げされてしっかりとした舗装が施されていました。車の巻き上げる粉塵も、生臭い匂いも以前よりは減っている印象です。
 Sany1340 これまで女川駅付近では重機が瓦礫撤去作業をしている事が多かったのですが、今回はエレベータや駅のホームに近づく事ができました。
Sany1343  2枚目の写真は、3月17日に使用開始予定だった女川駅のエレベータです。左側に案内表示が残っています。

 3枚目はホームから改札口のあった方向を眺めたものです。Wikipediaの女川駅の項を見ますと、かつての駅の様子を写した写真が何枚かあり、ため息が出ます。

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