カテゴリー「女川町医療支援」の58件の記事

2021年10月27日 (水)

女川町 旧女川交番

2021年9月21日撮影

20210922_055328  翌朝、いつものように早く目が覚めますので、朝食前に町内を歩いて回りました。

20210922_055445 2019年12月の訪問時はまだ工事中だった旧女川交番の震災遺構の整備も完了していました。スロープで一周回れるようになっており、地盤の液状化により土台の杭が緩み、津波の力によって横倒しになってしまったのがよくわかるようになっています。スロープの外周部分には、震災前、直後、そして復興の様子を解説するパネルも展示されていました。医療支援のことにも触れられていました。

20210922_055846  魚市場など港湾関係の整備も完了していました。

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2021年10月20日 (水)

女川町 夜の港

2021年9月20日撮影

20210920_194004  毎年12月に女川に行っていましたが、2020年はその機会が無いまま終わってしまい、1年9ヶ月ぶりの訪問となりました。夕方に女川駅についたので、まもなく日が暮れてしまいました。ほぼ満月(翌日がお月見)が港を明るく照らしています。

 前回訪問時はまだ港の付近で整備工事が続いていたのですが、震災から10年を経て町の再建工事はほぼ完了したようです。港と商店地区の間の園地には、なんとスケートボードの練習スペースが作られており、熱心に練習に励む親子の姿がありました。オリンピックの影響でスケートボード人気が高まりましたが、都会では許可された練習場所もなかなか無いのでうらやましいのでは無いでしょうか。

20210920_194922  女川にかかる橋の上から医療センターの方向を撮影。随分と灯りが増えました。センターよりも更に高台を造成して、役場や小中学校が建設されました。

 復興事業が進む三陸沿岸の他の市町との大きな違いとして気づくことがあります。町から海が見えるのです。つまり巨大な防潮堤をあえて建設しなかったということなんです。

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2020年6月29日 (月)

宮城県女川町2019年12月

2019年12月撮影

Img_0198 恒例の女川町訪問。地域医療センターの忘年会に併せ、留守番当直に来るのが毎年の通例となっています。

 小牛田から石巻線で女川へ。少し早めに到着して女川駅舎2階に併設の温泉施設ゆぽっぽに立ち寄るのも毎年恒例です。駅舎にあるとはいえ、浴場から外を眺めることはできません。

Img_0205 震災から8年以上を経て、町の復興もだいぶ進んできて、ニュータウンのような町並みに、津波の爪痕もほとんど無くなっていますが、旧女川交番は震災モニュメントとして残されることとなり、液状化で土台から浮き上がり横倒しとなった交番の建物の周りには金網が張られ、整備が進められていました。

Img_0215 港沿いに散策します。震災直後に来た時には、大きな余震が来たらすぐに走って高台に戻ることを意識しながら歩いていたことを思い出します。

 港に停泊している漁船の向こうに、女川町地域医療センター。かつては町並みを見下ろす城郭のようにも見えましたが、周囲の嵩上げや、さらなる高台への公共施設等の建設が進み、かつてほど目立つ感じでは無くなって来ました。

 
 

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2019年2月16日 (土)

江島(えのしま)宮城県女川町 2

2018年10月20日
Pa200149  高台から港方向を望みます。
 女川湾の沖合のこの島の周囲は良好な漁場となっており、それゆえこの不便な離島に住み続ける理由があるわけです。
 なお、島の気候は夏は冷涼、(この地域としては)冬は温暖で、過ごしやすいのだそうです。それも人々が島を離れない理由の一つになっています。
Pa200152 女川町の各入江には、震災後に「女川いのち石碑」が建てられました。これは2011年3月11日の大津波の最大到達地点に建てられています。地震が発生したときには、必ずこの石碑よりも高い場所まで避難すること。そのメッセージを1000年先まで残すために建てられました。
Pa200154  もともとは接岸困難であったこの島。以前は船は沖合に停泊させて筏で物資を運び込んでいたそうです。
 今はご覧のような立派な港が作られました。本土からの定期船は1日3便。もう一つの離島である出島へは、本土からの架橋建設が進んでおり、いずれ陸続きとなります。江島だけが離島として取り残されるため、島では定期便の不採算化による便数削減を懸念する声が上がっていました。

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2019年2月11日 (月)

江島(えのしま)宮城県女川町 1

2018年10月20日撮影
Pa200122  地域医療振興協会の初期研修医に地域医療を経験してもらう2泊3日のセミナーで、宮城県女川町を訪問しました。女川駅前のトレーラーハウスのホテルエルファロに2泊。中日の20日は、二手に分かれて女川の離島である出島(いずしま)と江島(えのしま)を訪問しました。私は江島組。
 前々日に予定していた定期の巡回診療が、荒天で延期となり、この日に行われることに。巡回診療と研修医の訪問が同時実施となりました。ただ、週末とあって、島を離れている島民もいて、普段よりも少ない受診だったようです。
Pa200126_2  女川港から小さな船に乗り込み、女川湾を東へ。途中、牡鹿半島の北岸に位置する女川原子力発電所が見えます。津波に耐え住民の避難所ともなりましたが、震災から7年半を経て、まだ運転停止中です。
 30分ほどで江島に到着です。
Pa200150  巡回診療の行われる集会所は、港から歩いて10分ほどの高台にあります。震災後に新築された真新しい建物です。
Pa200145  そこから数分のところには、震災まで診療を行っていた江島診療所の建物が残っていました。かつては島に小学校もありました。現在は不測の原発事故の際に島民が逃げ込むためのシェルター施設となっています。
 島の住宅は比較的高台にあり、人的な被害は無かったそうですが、ライフラインが寸断されたため震災後は全島民が本土側に避難を余儀なくされました。

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2018年7月24日 (火)

女川町2017年12月その2

2017年12月1-2日撮影
Pc010113  女川駅の東側、中学校方向へと上がっていく道の脇に造成された宅地から駅、医療センター方向を撮影したパノラマ写真です。右手奥には新しい町役場の建設が進んでいます。津波の時に多くの人が逃れた医療センターの裏山は切り崩されて、大きく後退しています。裏山の階段上にあった神社も移設されたようです。

Pc020122_01

 翌朝医療センターの当直室から港方面を撮影。こちら側はまだまだ建設途中という印象です。朝夕は工事車両が多数行き交って、交通渋滞が生じています。医療センターから坂を降りたところの交差点には信号が無いため、特に右折で石巻方向に出るのが大変なようです。

Pc020127_01

 女川駅に石巻線の列車が入線してきました。堂々の3両編成ですが、土曜日の朝なので乗客はあまり多くありませんでした。当初は昼過ぎまで女川で仕事のはずでしたが、本日別件が出来てしまいこのまま三重県に移動です。

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2018年7月19日 (木)

女川町2017年12月その1

2017年12月1日撮影
Pc010098_01  1年ぶりの女川町です。今回は仙石線と石巻線を乗り継いで到着しました。平日の昼下がりですが、駅前には意外に多くの人がぶらぶらしていて、嬉しい限りです。
Pc010104_01  駅そのものは無人ですが、温泉施設ゆぽっぽが併設されています。
 駅の反対側には商店街ができましたが、更にお店が増えて、お土産を買ったり、食事を楽しんだりのバリエーションが増えました。
Pc010109_01  海に出たところで少し左手に進みます。河川の整備が進み、新しい護岸が作られつつあります。もともとあった高台の集落の更に奥側に宅地が造成されました。
Pc010112_01 橋の上から港側を望みます。写真右奥に女川町地域医療センターが見えます。かつては町を見下ろすお城みたいな雰囲気がありましたが、街全体が嵩上げされた結果、あまり目立たなくなりました。震災後満潮の度に冠水していた港周辺ですが、嵩上げされ、今は改修工事の盛りです。また1年後には、港も完成に近づいているでしょうか。

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2012年3月 2日 (金)

3月6日 女川町地域医療センターより生中継予定

 3月6日(火) NHKニュースおはよう日本で、女川町地域医療センターから生中継が予定されているそうです。放送時間は7:00から7:30までの間の10分程度で、生中継の他、離島巡回診療などの様子も放送されるとの事です。
 電車で移動中のためリアルタイムでは見られそうにないため、さっそく録画予約しました。

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2011年10月 5日 (水)

女川町立病院は女川町地域医療センターに

 平成23年10月1日から、女川町立病院は、半年遅れで地域医療振興協会を指定管理者とする指定管理制度に移行し、女川町地域医療センターとして再出発しました。
 津波被害を受けた病院施設を改修。3月11日までの100床の病院+別棟の50床介護老人保健施設の形態から、19床の有床診療所+50床の介護老人保健施設(改修終了後は100床)に変わり、これまでのミニ総合病院から、地域の実態にあった、地元密着型の医療機関へと変わります。巡回診療や訪問看護などの在宅医療や、仮設住宅や離島への巡回診療などが開始されるそうです。津波で市街地は消失してしまいましたが、新たに病院敷地内に調剤薬局が開局し、院外処方が再開されるとの事。
 まだまだ先行きが不透明な点も多い女川町ですが、医療機関の安定と充実がこれからの街づくりの重要な基盤となる事は言うまでもありません。斉藤院長始め、職員の皆さんの活躍に期待しています。また都合がつけば、復興する女川の変化を見に行きたいと思います。
 「がんばっぺ 女川」

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2011年8月21日 (日)

第5回へき地地域医療学会

 8月20日と21日の日程で、第5回へき地地域医療学会が開かれています。今回のテーマは、「震災と地域医療 ~展望と課題~」となっており、20日午後には、宮城県女川町の安住町長さんや女川町立病院の齊藤院長の他、実際に東日本大震災の支援に活躍したパネリストによるシンポジウムが開かれました。また演題発表として、医師、看護、介護、リハビリ、栄養の各職種、支援した側、支援を受けた側それぞれの立場での発表がありました。
 特に、女川町や町立病院関係者の方々にとっては、震災からの5ヶ月間の経過や活動を見つめなおす機会となったようです。支援する側、される側、それぞれの思いに最初はすれ違う所はあったにせよ、次第に相互理解が進み、すり合わせが行われていく過程がよく見えた気がします。
 被災地の復興への道程はまだまだ長いですが、より以上に素晴らしい町の復興を目指して、明るく前向きに取り組んでいく事が重要であると実感しました。そして、今回被災しなかった地域でも、明日の我が身と思って、今後の対策を考えていくことが必要だと思いました。

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