カテゴリー「心と体」の33件の記事

2013年1月19日 (土)

おさいふケータイで体重管理!?

 十数年ぶりに自宅の体重計を刷新しました。このご時世なので、パソコンやインターネットで体重管理ができるような商品が出ているのではないかと思って調べたのですが、意外にまだ未成熟な分野。家庭内での体重計の置き場所とパソコンの置き場所はどう考えても離れていますから、USBで繋いで…なんていう事だと実用性が無いのでしょうね。

 体重計と言えばタニタですが、SDカードで転送する 体組成計BC-308というのが標準価格21000円とか、USBデバイスで転送するBS501+KY0001ではセットで1万円を軽く越える模様。

 ではオムロンはどうかと調べてみたら、HBF-252Fという商品があって6000円少々で購入可能と判明。Felica通信を使っておさいふケータイにワイヤレスでデータ転送ができ、そこからネットにもアップできるとの事。さっそく購入してみる事にしました。(別売りのUSB通信トレイを購入すれば、おさいふケータイがなくてもパソコンに直接データ転送する事も可能だそうです。)

 結構便利です。初期設定だけしておけば、家族の誰が乗ったかを自動で判定して記録してくれます。(最大4人まで) 登録番号とスマートフォンを紐付けしておけば、複数の家族でそれぞれのスマートフォンに自分のデータを転送して管理する事ができます。グラフ表示もアンドロイドのアプリ上でも、インターネット上のサイトでも表示可能ですし、ネットからデータをダウンロードする事もできます。(やりませんが。)

 難点もあります。体重計に記録されたデータにはセキュリティーはかけられず、誰でも見ることができます。登録番号の自動判定がうまくいかなかったのか、はたまた操作ミスがあったのか、妻や娘のデータが自分のところに記録されている事がこれまでに3回ありました。(誤ったデータはネット上で削除する事が可能です。) という事で体重を他の家族に秘密にしたい人にはむきませんので、あしからず。^^;

← Amazonへのリンクになっています。

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2009年12月30日 (水)

メキシカンカリブとニューヨークの旅21 コントイ島沖合のシュノーケリング

2009年10月8日(木)

Img_4841 午前9時30分。予定通りMARINA HACIENDA DEL MAR を出航。船の上では、朝食タイム。パン、ジュース、カットフルーツ を好きなだけ食べる事ができる。大型のダイビング船に14名の乗客だから、船内は余裕いっぱい。階段を登って2階にいくと、視界も開けるし、エンジンの音もあまり響いてこない。ただしわずかな屋根の下以外は熱帯の日差しがさんさんと降り注いでいる。あっと言う間に皮膚がヒリヒリしてくる。

Img_4855 コントイ島 Isla Contoy は北北東の方角にあり、約1時間30分の航海予定である。ユカタン半島から遠ざかっていくにつれ、水平線の向こう側にカンクンの高層ホテル街が沈んでいく。高い建物のてっぺんだけが海の上に突き出ている光景が面白い。右手前方にはムヘーレス島 Isla Mujeres (女たちの島)が見える。カンクンに最も近い離れ島として人気がある。島へ向かうフェリーもなかなか立派だ。この島では、泳いだり、ビーチで遊んだり、マリンスポーツを楽しんだり、イルカと泳ぐ体験をしたり、ゴルフカートで島内巡りをしたりと多彩なアクティビティーが楽しめるようだ。

Img_4856Img_4848  我等が Asterix 号は、更に北を目指してカリブ海を進む。海底の白い砂の反射で海は美しいコバルトブルーだ。左手には海賊船のような船が並走している。Pirates of Caribbean 風のこの船もコントイ島へ向かっているようだ。(このあたり、他に行くところは無い。)

Img_4874  やがて遠くに島影が現れ、だんだん近づいてきた。あれがコントイ島のようだ。時刻は午前11時。船は沖合で停止。お楽しみのシュノーケリングだ。プエルト・モレロスと同様、ここでもライフジャケットは強制となっている。

 最初のうちはたまたま雲が出て、海もやや暗かった。海の透明度は昨日のプエルト・モレロスの方が少し良かったが、魚の数はこちらの方が多い。しかし小さなクラゲも結構いる。潮が速い所もあって、流されて思い通りに体をコントロールできない。ビデオの画面も随分と揺れ動いてしまい、見づらいものになってしまった。

 そのうちに晴れてきて、サンゴの色も鮮やかに見えるようになった。大きなダイノウサンゴや、ヒトデ、大小様々色とりどりの魚など、みとれているうちにどんどん時間が経ってしまう。11時40分、シュノーケリングを終え船に戻った。あっと言う間の40分間であった。

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2007年7月30日 (月)

2003年マラウイへの旅15 セントアンズホスピタル3

2003年12月29日

 次に薬剤師として働いていた妻の主たる職場、薬局を訪問する。置いてある薬の種類はあまり多くない。日本ではもう使われなくなった古い薬も、まだまだ現役で使われている。妻が1年半ぶりに見た薬局の様子は、惨憺たるものだったようだ。「あんなに医薬品の管理の仕方も教えたのに、もうぐちゃぐちゃだ。(>_<)」 国際協力もなかなか現実は厳しいようだ。

5_1

 奥の方の建物は病棟になっている。ベッドの数が足りなくて床で寝ている人もいる。病院給食といった物は無いので、食べ物は家族が持参しなくてはならないし、洗濯も家族の仕事。だから病棟の周囲には入院患者さんだけで無く、家族もいっぱい居る。

 お母さんと一緒に双子の赤ちゃんが病棟の外の床で座っている。近づいて「ムリバンジ?」と声をかけると大泣き。マラウイ人の幼児たちは白人や黄色人種を怖がるらしい。異人さんに誘拐されると思っている??

 写真の後方に写っているおじさん、上は白衣のような白いジャケットにネクタイで決めている。一瞬ドクターかと思うが、下は赤いタイツを履いている。とて も変だ。(^^;) PTCの前にもタイツを履いて踊っている物乞いのおじさんがいたが、同一人物と思われる。神出鬼没。しかし、何でタイツを履くのだろうと不思議に思った。

※この疑問は 2006年に、「タンザニアを知るための60章」という本を読んで少し解決した。この本の著書の栗田氏のホームページ「アフリカ案内」-「タンザニア」-「タンザニアマラウイ国境」-「国境付近のダンス」-「イゴマ」-「バックで踊る者」 にも写真が載っているが、タイツはダンサーのユニフォームなのだ。※

 その後、病院のマネージャーや、ドクターと立ち話をする。セントアンズホスピタルは、その名前の通りのキリスト教会(アングリカン)の支援で開設 された私立の病院だ。コタコタには国立の病院もあり、そこでは無料で治療を受ける事ができるらしいが、設備は劣悪との事。この病院は国立に比べれば、かな り恵まれた設備で、治療費を払うことができる住民のみが受診するわけだが、その実情はこれまでに紹介したような具合だ。

 ここにはイギリス人の医師が一人いるだけだ。イギリスのボランティア団体から派遣されているとの事。彼は主として病棟の入院患者さんたちを担当している。では、外来の通院患者さんの診察は誰がやっているのかというと、当然医師ではない。クリニカル・オフィサーとか、メディカル・アシスタントとい う、高等学校卒業後に専門学校を卒業したレベルの教育を受けたマラウイ人が担当しているとの事。その診療内容は、かなり怪しいもので、妻は不適切な薬剤の 投与に頭を悩ませていたという。

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2007年7月23日 (月)

2003年マラウイへの旅14 セントアンズホスピタル2

2003年12月29日

 病院の入り口といっても、両側には家も建っており、どこからが病院の敷地なのかはっきりしない。広場になっている所に車を駐車する。鍵はしっかりかけておこう。簡単なゲートがあり、車の出入りはコントロールしているが、人の出入りは自由である。

1_72_7 ゲートの前にあるのが外来棟。年末だが病院は普通に営業している。南半球だから季節は夏である。入り口の前に受診する人の行列ができている。中に入ると肌も髪も真っ白な事務職員さんが働いていた。1年半ぶりに突然現れた妻の姿を見て大喜びしている。外国人の方かと思ったら、アルビノ(先天的にメラニン色素が欠損している状態)のアフリカ人なのだそうだ。この強烈な日差しの国で過ごすのは大変そうだ。

 建物の横へ回り込んだ所に、TUCK SHOP と書かれた売店がある。tuckとはイギリス英語でお菓子の事。

3_3  妻の案内で建物の中にも勝手に立ち入らせて頂く。左の写真が診察室。机の上あるのが(かなり立派な)ペニスの模型である。コンドームの装着方法を指導する時に使う。HIV/AIDSの感染拡大を防ぐためには、とても重要な事である。壁の上の方に貼られている大小のアルファベットが書かれている紙は視力表である。日本ではランドルト環(円の一部が欠けている所を言い当てるもの)が用いられているが、他国ではあまりポピュラーでは無さそうだ。

4_1 次の写真は、シアター theatre である。アメリカ英語では operating room だが、イギリス英語ではシアターと言う。医療関係者はこの手術室を見てびっくりするだろう。窓が開いていて、外気が自由に入る。先進国では手術室の空気はフィルターを通した空気を強制換気させ、空気中に浮遊している病原体の数を減少させている。このあまり清潔とは言えない手術室で帝王切開や、虫垂炎などの手術が行われている。(^^;)

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2007年7月20日 (金)

2003年マラウイへの旅13 セントアンズホスピタル1

2003年12月29日

 マラウイ湖の波の音を聞きながら目を覚ます。幸い蚊にも刺されずにすんだようだ。蚊帳の中で寝るのにも慣れてきた。妻の最初の計画では更に北のカタベイまで足を延ばすつもりだったようだが、旅の前半は移動ばかりになってしまったので、欲張らずにコタコタに滞在する事になった。当初2泊の予定だったロッジも、部屋は移らないといけないものの、もう一泊リザーブする事ができた。

 このあたりは暑くて汗をかくので洗濯が大変だ。洗面所で洗って、部屋の外に干しておく。ここはゲートキーパーがいるし、人家から離れているので安いTシャツぐらいなら干しておいても大丈夫そうだ。蠅が飛んできて衣類に卵を産みつける事があり、孵化した蛆虫が皮膚の下に入り込んで成長し、脱皮するときに皮膚を破って出てくる事があるらしい。卵が死滅するように洗濯物は強烈な太陽光線によく当てるか、アイロンをかけておくのがいいそうだ。ロッジのホームページを見ると無料のランドリーサービスと書かれている。実際にマラウイ人の従業員の人たちが、洗濯をしてくれている。ただし洗い方は石などに叩きつけて洗うアフリカ流なので悪しからず。衣類が傷むのを避けたかったらアイロンだけかけてもらう事もできる。

    朝食を摂った後、車に乗ってコタコタ Nkhotakota の町へ向かう。ガタガタ道を走って国道まで出る。妻は青年海外協力隊員としてコタコタに滞在していた間、休日に時々製陶所に遊びに来ていたそうだ。その時は町からミニバスに乗り、国道上の分岐点で降ろしてもらいそこからこのガタガタ道を1時間かけて歩いてきたのだという。車があるとこんなに楽なんだと、感慨深そうだった。

1_62_63_2 国道に出たら右折して北に向かう。10分程走ると比較的大きなコタコタの町に入る。中心地の十字路にはミニスーパー(superette)のPTCやガソリンスタンド(BP)もある。近くには粗末な屋台のような物が立ち並んでいるが、これが商店街という事になる。この十字路を右折して集落の中を進んでいく。5分ほど行くと、セントアンズホスピタルの入り口にたどりつく。妻が1年間勤めていた病院だ。

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2007年5月 5日 (土)

オレゴン健康科学大学(古い)訪問記20(完結) 総括

 今回の訪問は実質4日間と極めて短期間であり、朝から夜までびっしりとスケジュールが組まれなかなかハードであった。しかしその分非常に充実した研修を受ける事ができた。滞在中ずっとTaylor先生が我々をサポートして下さり、最終日もわざわざホテルまで来てお見送りをしていただいた。高名な先生だが大変にフレンドリーで、学生にも、研修医にも熱心に指導をしている姿が、印象的だった。また教わる方も積極的、自主的に取り組んでいる様子がとても好ましく感じられた。また、教育を前提とした医療機関の設備や体制のあり方については、非常に学ぶ点が多かった。今後日本でも学生、研修医教育における地域の医療機関の役割が大きくなると考えられるので、大いに参考にしていく必要があろう。

一方、日米の医療、特に保険制度の違いに根ざした相違点はかなり大きく、今回見聞した事の中には、そのまま日本へ持ち込む事が難しい点も多く見られた。また、大学の関連施設という特殊性のため、アメリカの地域住民の多数が受ける医療の実態を必ずしも反映していないと考えられた。もしチャンスがあれば、オレゴン州の広大な農村部での医療がどうなっているかについても、触れて見たいと思った。

また、日本の地域医療においては、内視鏡、超音波などは僻地診療所レベルでも広く普及しており、創傷治療などの技術レベルなど、日本の方が優れているのではないかと感じる面もあり、こういった部分は今後ものばしていく必要があると感じた。

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2007年4月29日 (日)

オレゴン健康科学大学(古い)訪問記19 Farewell Dinner と雨の中の観光

Party  今夜は、Farewell Dinnerとの事で、またまたTaylor教授の家に招かれる。Saultz 教授も参加。地域医療振興協会の招きで日本に来た事のある4人の研修医も集まり、クリスマスの七面鳥をいただきながら歓談した。しかし専門領域の話だとなかなか聞き取れないのに、与田話ならばっちりというのはなんでだろう…。

Saturday, December 13, 2003

Fall  Taylor 教授の運転と案内で、ポートランド近郊の渓谷を探訪。雨期とあって、滞在中の6日間はすべて雨。この日は珍しいぐらいの大雨で、美しいはずのコロンビア川の風景ももやの中であった。Multonomah Falls という滝に到着。Taylor 教授は「そんなに大きくは無い」と言いながらもかなりの大迫力、そして美しい。資料を見るとなんと高さ189mで、われらが日光の華厳の滝の倍ぐらいある。ちなみに世界で最も高い滝は、カリフォルニア州の Ribbon Falls で、なんと491mとの事。ちょっと想像できない。

Flee_market  ポートランド市街に戻り、ワシントン公園の散策のあと、週末限定のフリーマーケットで買い物。小さな出店のどこでもクレジットカードが使えるのにはびっくりした。写真のような怪しいサンタクロースの一団も出現し、会場を盛り上げていた。

Iluminations  夜は Taylor 教授の息子さんの家にご招待いただいた。かわいいお孫さんと遊んだりして、楽しい時間を過ごした。ポートランド近郊の住宅街はクリスマスのイルミネーションで華やかに彩られていた。ホテルに戻ってから、ホテル内のスポーツバーへ行き、初めて日本人二人だけで乾杯をする。英語漬けの毎日、お互いお疲れ様でした。

○Sunday, December 14, 2003

Mt_fuji  朝、ホテルの周辺を散歩しているとスターバックスコーヒーがあったので、そこで朝食を摂る事にした。空港まではタクシーで移動。 Taylor 教授はホテルまでわざわざ見送りに来てくださった。到着から出発まで本当にお世話になりっぱなし。本当にありがたく申し訳ないことである。帰りの飛行機は教授に教わったフレーズをそのまま使わせていただき、ポートランド空港のカウンターで "We want to stand by for earlier flight."  と言って、1時間早い便に変更してもらう。それでもシアトル空港のチェックインカウンターとセキュリティーチェックは大混雑で、乗り継ぎ時間はぎりぎりだった。翌日夕方、成田到着。富士山の美しいシルエットが出迎えてくれた。

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2007年4月23日 (月)

オレゴン健康科学大学(古い)訪問記18 OHSU Gabriel Park Clinicの見学(午後)

 昼食はクリニックのすぐ近くの店で、"Bento" と言う名の Lunch Box を購入した。お値段は$5弱。白いご飯の上にテリヤキチキンをぶつ切りにした物が乗っていて、サラダが添えられている。まずまずの味で、ボリュームも普通。店長は日系人のようだが、日本語は話せない。Dornfest先生曰く、「ここではPizzaも売っている。アメリカ人はPizzaが好きで、Pizza  はイタリアの料理だと思っているけど、イタリアでは(こんな厚い生地の物は)食べないんだってね。ひょっとしてBentoは日本じゃ食べないんじゃないかと思ってたよ。」

 クリニックの休憩室で Dornfest先生 やナース、研修医などと懇談しながら Bento をいただく。会話の中で IDCOP (Idealized Design of Clinical Office Practice) という話題が出てきた。これは Institute of Healthcare Improvement が提唱しているシステムで、待ち時間を無くした結果として、外来に待合室を置かず、受け付けも置かないのだと。IHI のホームページを見てみるがなかなか難しい。彼らの考えている事は、効率良く、質の良い医療を提供することで、一日に診察できる患者数を増やし、より多くの需要に答えることができるということか。結果として患者さんは、かかりたい時にいつでも待ち時間無く受診できるというところを目指しているようだ。(もしご意見ありましたら、コメントをお願いします。)

 ソーシャルワーカーについても尋ねてみた。このクリニックにもソーシャルワーカーが1名。残念ながら具体的な仕事については聞きそびれた。各クリニックに1名ずつの配属。大学には実務ではなく研究などを行っている人もいるようだとの事。

 午後からは別の指導医が 出勤してきて、研修医も交替する。今日の午後は flu shot (インフルエンザ予防接種)外来があって、大忙しらしい。なにしろちょうどこの頃アメリカの一部では大流行が起こっていたのだ。ここ Portland ではまだ流行していないが、例年よりも接種希望が多くなっているとの話。ちなみにアメリカでは予防接種は公的に行われているものは全く無いとの説明だった。 Flu shot のコストは$25。うちワクチン代が$13だった。

 今日の午後の指導医パートタイマーで、子育てをしながら自分の都合のいい時間帯だけこのように働いている。4時間ずつ3交代せいだからこんな事も可能だ。しかし今日の彼女は、自分の患者の診察、研修医・学生の指導、ナースからの指示の確認、ナースだけで対処できない電話問い合わせへの対応、予防接種と、大忙しである。指導医室にも、なかなか戻ってこない。忙しい中でも僅かな合間に話をしたりしてくれるのだが、ちょっとかわいそうだった。

Materials Materials2  途中から私たちはクリニックの中を自主的に見て回り、備品や設備をチェックしていた。唯一見学した症例は軽い咳で受診した3才児。このぐらいの年の子供でもいきなり親には尋ねず、まずは本人に話をさせるのがアメリカ流と感じる。この子はとても元気だが、週末にディズニーランドに行くので念のため見てほしいとの事だった。日本ではありがちな話だが、アメリカでも保険の種類によってはそんな事でも受診可能なようだ。

St_gabriel_entrance  気がつくと午後4時を過ぎ、スタッフの皆さんにお礼を言って、Dornfest先生の車でホテルまで送っていただく。偉い先生方に、親切に気を使っていただいて、申し訳ない気持ちである。

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2007年4月17日 (火)

オレゴン健康科学大学(古い)訪問記17 OHSU Gabriel Park Clinicの見学(午前)

Friday, December 12, 2003

 今朝はいままでよりちょっと遅くて午前8時にホテルを出発。昨日までと違い、市街地から南西方向に15分ほど離れた丘の上にある、OHSU Gabriel Park Clinic へ。ここは住宅地の真ん中の小さなショッピングセンターの中にあり、ピザやテリヤキチキン弁当を売っているお店や、美容院、カイロプラクティック施療所などが隣接している。

Dornfest  9時前に到着してここの管理者の Dornfest 先生に会う。以前は南アフリカのケープタウンで家庭医療を行い、その後アメリカの数カ所で学生やレジデント教育に携わり、5ヶ月前からこのクリニックに着任したとの事。

 ここは、本学だけではレジデントや学生を受け入れきれなくなった為、14年前に学外に作られた最初のクリニックで、周辺には公園やプールなども整備されていて、すばらしい住宅地のようだ。

 余談だがアメリカでは clinic は入院患者を持たない無床の医療施設。有床施設は小さくても hospital と言うそうだ。日本では無床および19床以下の有床医療機関を診療所と呼び、20床以上が病院と医療法で決められている。従って有床診療所は hospital と説明しないと混乱する。

 平屋の建物だが中は広くて、数えてみたら診察室がなんと25室あった。その他に preceptorが指導のために待機する部屋や、研修医が調べ物をする部屋、レジデント控室、スタッフ休憩室、レントゲン室、検査室、2つの処置室がある。注射はナースが行うので、薬品は主としてナース用のケアルームに配置されている。

 受診の流れは基本的に Emma Johns Hall と同じで、受付を終わった患者さんは診察室に入り、まずナースが様子を聞いて、心電図などが必要と思えば事前に実施する。その後、医師がやってきて診察する。診察室の入り口には患者さんが在室しているかどうかなどを示すサインがついており、カルテもこの近くのホルダーに入れられている。診察室の壁には絵画が飾られており、天井からは回転する模型がつるされている。

 ある部屋の壁には「子供に抗生物質を安易に処方してもらうのはやめましょう。」と親向けのキャンペーンポスターや、「糖尿病の人は靴と靴下を脱いで下さい」と書かれていたりしていた。ここには12名の研修医が配置されていて、3名の医師が指導医をしている。

 Emma Jones Hall と同様、ここにも、超音波診断装置も、内視鏡も無い。コルポスコピーは頻繁に行われている。アメリカでは消化管内視鏡は消化器内科専門医と、検査時の鎮静の為の麻酔科医が必須との事。したがって家庭医療 では手出しできない。エコーについては、本当は使いたいのだが、実施するのに資格が必要→専門医が使う事を認めない→研修すらできない、という壁があって、活用されていないとの事。

 午前中は研修医たちについて診察を見学した。最初のケースは鼻水の女性。副鼻腔炎の疑いもあるが様子を見ましょうとの事で処方は無し。2番目は赤ちゃんで咳。基本的には元気で、これも処方無し。3番目のやせた若い女性はのどの痛みと咳。胸部のレントゲン写真2方向撮影し異常無し。4番目の女性は咳。丁寧でよく説明もしているが、診察時にいちいち服も脱がせないし、風邪症状だけでは腹部の診察はしないので、日本の一般的な内科外来の風景に似ている気がする。

 というわけで今日は非常にかぜ、それも比較的軽い人が多い。これも地域への密着性の強い事の表れと私は解釈した。Emma Jones は大学の中なので、それなりに敷居が高いようだ。患者さんの多くは女性でありこれは全国的な傾向らしい。また医師によって患者の年齢層などにバラツキがあり、経歴の長い先生はやはり高齢者が多いとの事だった。また、婦人科の得意な先生もいれば、全く見ないという先生も居て、どの医師も均質な診療をするというわけでは無い。

Gabriel1  さて、5番目のケースでようやく風邪から離れた。糖尿病で足底に潰瘍を持っている男性が、両下肢にやけどを負い難治であるとの事で紹介をされてきた。右下腿の火傷は黒色痂皮(かさぶた)を伴い、左足の部分はうすい表皮の下に白色のものが見える。私はこういうのはまずデブリドマンして、適切な創傷被覆材料を考えて、糖尿病 はインスリンでコントロールを改善して、難治なら血管拡張剤のプロスタグランジンや、線維芽細胞増殖因子まで使わないといけないかな、なんて考えたが、これは全くの日本的発想だった。

 研修医が指導医 と相談して決まった今日の治療方針は、「来週まで様子を見る」という事だった。その理由としては周囲の発赤や腫脹が軽快してきているので、との事だった。後でいろいろ聞いてみたが、ハイドロコロイドや親水性ポリウレタン、ポリエチレンフィルム、アルギン酸塩といった日本ではおなじみの創傷被覆材料は全く使われていない。ましてや更に値段の高いプロスタグランジンや、線維芽細胞増殖因子などはもっての他であった。

 処置用の軟膏として常備されているのは、抗生物質のポリミキシンBの軟膏とか、スルファジアジン銀クリーム(つまりゲーベンクリーム)ぐらい。ガーゼは滅菌パックに入った非固着性の(傷口にはりつかない)物が使われている。

 頻繁に処置が必要な場合には、途中医師はタッチしない。クリニックのナースや通院困難な場合は訪問ナースが治療を行う。創部をある程度密封して置く場合は、ペースト付きバンデージ(普通の絆創膏の事か??)といった材料を使っているとの話だった。だいぶ様子が違う。

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2007年4月 8日 (日)

オレゴン健康科学大学(古い)訪問記16 Taylor家での夕食と進路選択の指導

 夕方早めにホテルに戻りで少し仮眠を取って、ようやく体が楽になる。夜は Taylor 教授のご自宅へ招かれる。市街中心部に地元テレビ局が建てた高層ビル KOIN Tower の最上階にある。建物の玄関には24時間係員が常駐していて不審者が侵入できないように見張っている。窓からの見えるポートランドの夜景がすばらしい。

Career_counseling1_1 Career_counseling2_1  今日集まったのは私たちの他に、医学部の1年生10名ほど。ダイニングで医学部の1年生10名とともに中華料理をごちそうになる。

 食事の後、学生たちはサロンでくつろぎながら、婦人のAnita Taylorから、性格分析と専門領域 の適切な選択についての講義を受ける。そう、実はこの夕食会も大学の教育の一環だったのだ。

 アメリカの医学部は一般大学を卒業後に入学し、4年間のコースである。今日来ている学生たちはまだ医学部に入ってから3ヶ月。こんな早い時期から卒業後の専門分野を考え始めているのだ。各学生は予め分析してきた自分の性格のタイプと、その結果として現在適切とされる専門分野、それに対する自分の考えなどについて意見を延べていた。

 日本では医学部卒業後の専門分野の選択については、基本的に各個人の希望によって決まる。こういった適性診断のような取り組みが行われている医学部はたぶん無いだろう。

 今回の講義資料には参考として以下のwebsiteが紹介されていた。

 

The Myers-Briggs Type Indicator (ユングのタイプ論を元に作られた物との事。リンク1(英語) 2(日本語) など、Google検索するとオンラインでタイプ分析できる所がいろいろヒットしてくる。)

http://keirsey.com/  (サイトへ接続できなかった。)

http://www.personalitypage.com/info.html

http://www.ttuhsc.edu/SOM/Success/default.htm

http://www.gsu.edu/~dschjb/wwwmbti.html

http://www.personalitypathways.com/type_inventory.html

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