カテゴリー「古い鉄道写真アルバム」の49件の記事

2010年4月24日 (土)

倉吉線廃線跡探訪

忘れられていた古いホームページから拾いだした物です。この廃線跡探訪ももう12年前の話。今はどうなっているでしょうか。

倉吉線廃線跡探訪  

(1998年06月21日更新)

                                                                                                                                                             
Kurayo01 1997 年3月15日土曜日。京都での結婚式の為に、何故か前夜に熱海から寝台特急出雲3号に乗って山陰へ足を伸ばしました。浜村海岸で日本海を眺めたあと、倉吉 駅まで移動。かつてこの駅から南へ、倉吉市の中心部を通り、山間部へと通じていた国鉄倉吉線の廃線跡を辿ってみました。       

JR山陰線倉吉駅の駅舎東側に隣接して、かつての倉吉線のプラットホームが残っています。(写真奥の屋根の左側)手前の右側はバスターミナルとして整備されています。

      
Kurayo02 東に向かって歩いていくと、山陰線との分岐部にさしかかります。左に見える列車は快速とっとりライナーです。       

右奥側へ緩やかなカーブで倉吉線の廃線跡が分岐していきます。このあたりは未舗装の駐車場として利用されています。このまま砂利道を進んでいくと、駅前を東西に走る車道と交差します。この付近は一部燃料タンクの用地として流用されていました。

      
      

Kurayo03

      
道路との交差の先は雑草に隠されていました。しかし、良く見ると向こう側には線路が!
Kurayo04 さらに接近してみました。廃線当時から全く手付かずのまま線路が残されていました。
Kurayo05 踏み切り跡です。遮断機の台座もそのまま残されていますが、さすがにこの部分の線路は撤去されています。
Kurayo06 小さな溝橋です。橋台も、その上の橋脚の鉄骨もそのまま残されています。この橋は線路は撤去されていました。
Kurayo07 倉吉駅から歩いて1kmポストまで到達。この付近は何だか今でも現役線のような趣です。このちょっと先で、駅前から南にのびる大きな道路と交差します。その先もずっと線路が残っていましたが、時間切れで探訪は打ち切りとしました。       

小雨の中、たった1時間あまりの散策でした。ちょっと消化不良でした。

      

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2008年8月13日 (水)

写真集 1992年冬の北海道

古い鉄道写真アルバムのシリーズから、1992年冬の北海道編の写真を纏めてみました。

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2008年7月12日 (土)

古い鉄道写真アルバム47(完結) 1992年北海道 深名線(3)朱鞠内

1992年(平成4年)12月30日撮影

366 注意しながら展望台を降りて、湖畔駅方面に戻ります。踏み切りから線路の写真を撮影。もう雪が積もり始めています。

 更に2km程歩いて朱鞠内駅へ。全長120kmにも及ぶ長大な深名線の中で、列車交換設備を備えていたのは、幌加内駅朱鞠内駅だけでした。

377388 深川方面から雪煙をあげて列車がやってきました。この駅にやってくる列車は深川方面が3.5往復。名寄方面が3往復しかありませんでした。全線を通して乗るのも大変で、途中下車を楽しむのはもっと大変な事でした。

 深名線で名寄まで出た後は、キハ400で運転されていた急行宗谷に乗り継ぎました。札幌からは臨時寝台特急エルムで北海道を後にしました。

 約1年間の長期に亘り紹介してきました、古い鉄道写真アルバムシリーズは今回で終了です。

 

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2008年7月 5日 (土)

古い鉄道写真アルバム46 1992年北海道 深名線(2)真冬の朱鞠内湖

1992年(平成4年)12月30日撮影

333 湖畔駅という名前からは観光地のような印象も受けますが、あたりはこんな感じです。ここは戦後日本で一番低い気温である -41.2℃を記録した地域ですが、今朝は-15℃ぐらいのようです。

 写真の真ん中から少し左側に湖畔駅の待合室が見えます。周囲には少しだけ家があります。さて何の湖畔かというと、北海道最大の人造湖、朱鞠内湖の最寄り駅です。本当の湖畔までは1kmほど離れています。

344355 圧雪された車道を歩いて行きますが、通る車もありません。やがて朱鞠内湖にたどり着きます。展望台が見えたので近づいてみます。当然除雪などはされていませんが、そんなに距離も無かったので、雪を掻きながら進み、展望台に登ってみました。

 2枚目の写真では遠くに湖畔駅が見えています。(1枚目の写真と一緒に見ればわかると思います。)朱鞠内湖は完全に凍結していて、巨大な雪原と化していました。

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2008年6月28日 (土)

古い鉄道写真アルバム45 1992年北海道 深名線(1)早朝の深名線

1992年(平成4年)12月30日撮影

 稚内から夜行急行利尻のB寝台で移動。未明の深川駅で下車します。深名線に乗るのが目的です。超ローカル線だった深名線でしたが、冬季の代替バスの運行が困難という理由で、廃止は1995年までずれ込みました。

 301深川駅の跨線橋からの撮影。スローシャッターで、入線してくる網走発札幌行きの特急オホーツクを撮影。駅の構内は凍てついています。

311 人家も殆ど無い真っ暗な沿線を進むうち、ようやく夜が明けてきました。白い雪原の中で、列車の通った後の線路だけが光っています。深川からの始発列車は、車両回送の役も兼ねており、途中の幌加内駅で切り離された一部の車両が、折り返しの深川行き始発列車になります。

322 幌加内、朱鞠内を経て、次の湖畔駅で下車します。かつては全国版の時刻表に載らない仮乗降場でしたがJR化に際して晴れて駅に昇格しました。ホームと簡素な待合室しかない小さな駅で下車したのは私だけでした。

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2008年6月21日 (土)

古い鉄道写真アルバム44 1992年北海道 雄武・稚内

1992年(平成4年)12月29日撮影

272 雄武駅から北見枝幸行きのバスに乗り換えます。このバスは興浜南北線が存在していた頃から走っていましたが、列車の乗り継ぎが悪く、国鉄線乗り潰しの時には利用していませんでした。

 鉄道時代と同様に北見枝幸から先、興浜北線代行バスとの接続が悪かったのを覚えています。枝幸の町を散歩してみましたがどうにも時間の潰しようが無いため、学生時代には考えられないことですが、タクシーという飛び道具を使う事に。浜頓別まで約30km。スパイクタイヤを履いたタクシーは所々凍結している国道238号線を、猛スピードで駆け抜けました。浜頓別からは天北線代行バスに乗り継いで稚内へ。

281292 有名な北防波堤ドームで一枚。その後はバスで納沙布岬へ。夕暮れの港から、利尻富士の姿を眺めました。その後日本最北の温泉、稚内市民温泉保養センターに行き一風呂浴びて温まりました。

 

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2008年6月14日 (土)

古い鉄道写真アルバム43 1992年北海道 紋別・興浜線未成区間

1992年(平成4年)12月29日撮影

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 紋別のビジネスホテルで目覚めます。窓からは紋別港が見えます。冬の北海道は夜明けが遅く、ようやく明るくなってきました。

 紋別から興部まで名寄本線代替バスに乗車。そこから興浜南線代替バスに乗り換えて、終点の雄武に向かいました。興浜線は興部と浜頓別を結ぶはずの路線でした。昭和10年に南側の興浜南線 興部-雄武間が、昭和11年には北側の興浜北線 北見枝幸-浜頓別間が開通したものの、中間の雄武-北見枝幸間は日の目を見ぬまま、昭和60年(1985年)に南北両線とも廃止になりました。

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 雄武駅跡から北を望むと、未成のまま終わった興浜線の路盤とトンネルが見えました。

 

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2008年6月 7日 (土)

古い鉄道写真アルバム42 1992年北海道 サロマ湖栄浦港

1992年(平成4年)12月28日撮影

192203 能取湖畔を回り込み、常呂町の中心部を抜けると、やがてサロマ湖にたどり着きます。サロマ湖の東端にある栄浦でバスを降りてみました。

214 栄浦漁港を一跨ぎする栄浦大橋へと歩を進めます。強い風が吹きつける橋の上では路面も凍りついてます。橋の上からサロマ湖を眺めたり、人気(ひとけ)の無い港を散歩したりしました。寒いのに物好きな事です。

231 ようやく1本あとの中湧別行き代行バスがやってきました。暖房の効いた車内で人心地。中湧別で名寄本線代替バスに乗り換え、今日の宿泊予定地の紋別へ。旧紋別駅はバスターミナルになっていました。近くにビジネスホテルを見つけてチェックイン。商店街を適当に歩いて見つけた寿司屋に入りオホーツクの海の幸を楽しみました。

 

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2008年5月31日 (土)

古い鉄道写真アルバム41 1992年北海道 網走駅・湧網線跡

1992年(平成4年)12月28日撮影

161172 網走駅に到着。ホームは屋根の下の部分までも凍りついており、風の強さと気温の低さを物語っています。網走には何度か来ており、町も歩いた事がありますが、今回は素通りです。湧網線代替バスに乗りつぎます。

181225 網走と中湧別を結んでいた湧網線は1987年3月20日に廃止されていますので、この時点で既に廃線後5年半が経過しています。バスの車窓から雪原を気をつけて見ていると、線路の痕跡を見つける事ができます。踏み切りの遮断機や警報機までそのまま残されている所もありました。ワッカ原生花園への標識の所には廃線上に客車が留置されていました。

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2008年5月24日 (土)

古い鉄道写真アルバム40 1992年北海道 釧網本線浜小清水駅

1992年(平成4年)12月28日撮影

 斜里駅(現在は知床斜里駅)を過ぎると釧網本線は西に向きを変え、オホーツク海を間近に見ながら網走を目指します。2月頃に来れば流氷が接岸しているはずですが、年末なので残念ながら流氷を見ることはできません。

101112 行き当たりばったりの今回の旅。オホーツク海を望む浜小清水駅で途中下車する事にしました。駅の網走側は小高い丘になっていたので、登ってみます。小さな駅の構内を一望できます。オホーツク海側に視線を移すと、砂浜がどこまでも続いています。

123 丘から降りて浜辺に出ました。こんな季節の浜辺を歩いている人はなんかもちろん誰もいません。自分の足跡だけが続いています。

134 併走する国道244号線に出てみました。この道を進めば隣の北浜駅までおよそ5km。最初は歩いてみようかとも思っていましたが、風が強いので諦めて、浜小清水駅に戻ることにしました。

145156   暖房の効いた待合室に戻るとほっとします。先にやってきたのは網走から来たキハ40単行。続いて斜里方面から快速しれとこがやってきました。快速といってもキハ54の単行です。 右手にオホーツク海の荒涼とした風景を眺めながら網走へ向かいました。

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